日本语言语学

日本語言語学

序言 概论

?言語とは何か

人間と人間の間において、思想?感情を伝達する手段であり、音声又は文字を媒介物として成立する。

?言語の成立条件

言語が成立するためには、言語を表出する主体(話して又は書き手)と、言語を受容する主体(聞き手又は読み手)を中心とする場面と、伝達される内容(表現対象)との三者の存在が必要とされる。

?言語の表現による分類

言語は音声として実現される「音声言語」と、文字として表記される「文字言語」とに、大別される。

? 言語の分類

言語の文法機能によって分類する

①屈折語(inflectional languages)②膠着語(agglutinative languages)

③孤立語(isolating languages )④抱合語(incorporating languages )本の5ページを参照

言語の伝達物について

伝達の媒介物としては、現在では音声及び文字が上げられるが、本来はその媒介物は音声だけであったのであり、文字はその社会の文化がある程度発達して以後に、創造されたものである。従って、現在でも、文化の低い民族の言葉には、文字を持たないものがある。

?言語の範囲

伝達の媒介物としては、音声、文字のほかに、絵画、身振りなどもあるが、狭い意味での言語には含められない。

?音声と文字との長所及びに短所

音声言語は機械力に頼らない場合には、その場所だけで、一回限りで消滅するのが普通であるが、文字言語は長く保存され、又話し手以外の場所へも及ぼすことができる。

?日本語の変遷

日本語には音声言語と文字言語のとの間には、単に媒介物ばかりでなく、文法、語彙、文体等に至るまで多くの相違がある。音声言語では、性別、老幼、方言などの差異が著しいが、文字言語では、口語体、文語体などの文体上の差異が顕著である。

言語は時間の推移ともに変容するのが普通であるが。これを言語の歴史的変遷という。

言語の歴史的変遷は語彙が最も激しく、文法、音韻がこれに次ぎ、文字が最も緩慢である。

文字は従来の言語を保持しようとする働きがある。

?参考問題

1、言語は何か。その成立する条件を述べよ。

2、言語は普通幾つに分類するか。その長所と短所を話してみよ。

第一章 音韻

第一節 音声

人間が自己の思想?感情を伝達する目的で、音声器官によって発する音を「音声」という。

音声は「表情音」と「言語音」とに分れる。本の14~15ページを参照

「表情音」は舌打ち、咳払い等を指す。

「言語音」は言語に用いられる音で、一般に分節される形で発せられる。

?音声器官

肺気管?喉頭?咽頭?共鳴腔を総称して、「音声器官」という。

咽頭に声帯があり、声帯を振動させて発する音声を「声」といい、「声」を伴うものを「有声音」、「声」を伴わないものを「無声音」という。 ?音声の形成

音声の表出には普通、呼気が用いられる。呼気は肺から送り出され、気管?喉頭?咽頭を通り、更に共鳴腔(口腔?鼻腔)を通って、外部に出るのであるが、この間に「音声」が形成される。

喉頭の上方に咽頭がある。共鳴腔は口腔と鼻腔とに分れ、両者は口蓋によって隔てられている。口蓋の前部三分の二程を硬口蓋、後部三分の一程を軟口蓋という。

軟口蓋の奥の先端の垂れ下がっている部分を口蓋垂という。口腔の下部には舌があって、調音に際して最も重要な役を果たす。

舌の先端を舌先、それに続く前部を前舌、中央部を中舌、後部は後舌という。口腔の外方に歯があり、その外方に唇(上唇?下唇)があって、これらも調音に重要な役割を果す。本の13ページを参照

参考問題

1、音声とは何か。幾つかに分類されるか。その区別は何か。 2、調音に重要な役割を果す音声器官は何だろうか。 第二節 単音

音声の単位として、「音節」と「単音」とが立てられる。

「音節」とはその前後に切れ目が認められ、しかもそれ自身の内部に切れ目の認められない所の「単音」の連続である。 つまり、仮名一文字である。拍、モーラなどの用語も使う。

「単音」とはこれ以上分割し得ない最小単位である。単音には「子音」と「母音」の別がある。

子音とは口腔又は咽頭で閉鎖又は狭めの起きる音の全部と、起きない音の中、鼻音、流音、半母音を含めたものをいう。 母音とは口腔又は咽頭で閉鎖又は狭めの起きない音の中、鼻音、流音、半母音を除いたものをいう。

例えば、 「頭」〔atama〕において、〔a〕〔ta〕〔ma〕は夫々音節であり、〔a〕〔t〕〔a〕〔m〕〔a〕は夫々単音である。 音声を表記するには、普通ローマ字で書き出される。それを〔〕符号で包んで表わす。 *子音の分類

一、調音の位置による分類

イ、両唇音――上下の唇で調音さ れる音。ロ、歯茎音――舌先と上の歯茎とで調音される音。 ハ、歯茎口蓋音、硬口蓋音――主として前舌面と硬口蓋との間で調音される音。

ニ、軟口蓋音――後舌面と軟口蓋との間で調音される音。ホ、声門音――声門で調音される音。 二、調音の仕方による分類

イ、閉鎖音(破裂音)――呼気に対して、調音器官が一時閉鎖される音。

ロ、摩擦音――呼気に対して、調音器官のどこかの部分が狭い狭めを作って、生ずる音。 ハ、破擦音――閉鎖音の直後に、それと調音点を同じくする摩擦音の続く音。

ニ、鼻音――呼気に対して、口腔の音声器官が閉鎖を行い、同時に口蓋帆が垂れ下って、鼻腔に呼気が流れ込み、鼻腔で共鳴を発する音。

日本语言语学

子音の口蓋化

日本语言语学

子音は、時に、その本来の調音位置が移動し、前舌面が硬口蓋に向って持上り、〔j〕〔i〕の場合のようになるか、又はそれに近くなる現象がある。これを「口蓋化」という。

口蓋化は例えば〔?〕の場合、〔?〕〔tj〕又は〔?〕のような記号で表わす。日本語では、キシチニヒミリの各頭子音、及びキャ?キュ?キョなどの所謂拗音の頭子音が口蓋化している。 母音は調音の際の位置によって、

(一)前舌母音(二)中舌母音(三)後舌母音の三種に分れる。

顎の開き角度によって、(一)大開き(二)中開き(三)中閉じ(四)閉じの四種に分れる。 ジョーンズ(Daniel Jones)の基本母音

母音の無声化

母音は原則として有声であるが、場合によって、無声で発音されることがある。これを「母音の無声化」という。

母音無声化

東京語では、無声子音に挟まれた〔i〕〔?〕や( 「キカイ」の「キ」、「クサ」の「ク」の各子音など)、

文末の「デス」、「マス」の「ス」などに起こることがある。

〔i〕〔?〕など、狭い母音に起こり易い現象であるが、時に「ココロ」の前の「コ」、「ハハ」の前の「ハ」のように、起こることもある。 無声化は、音声記号の下に「?」を附して表わす。

*母音無声化の用例

キカイ〔kikai〕 クサ〔kusa〕

デス 〔desu〕 マス〔masu〕

ココロ〔kokoro〕ハハ〔haha〕

参考問題

1、単音とは何か。音節とは何か。

2、子音と母音の分類を述べてみよ。

3、子音の口蓋化と母音の無声化を例を挙げて、説明せよ。

第三節 音韻

「音声」に対して、「音韻」という概念がある。「音韻」を研究する分野を 「音韻論」という。

phonologyの訳語であって、その意味は、学者によって必ずしも一定しない。

音韻論は、音声学的研究によって明かにされる種種の音声が、どのような音韻的単位に該当すると解釈し得るか、その言語には、そのような単位が幾つあり、又、どのような体系をなしているか、その言語における音韻の機能は何か、などの点を研究するものである。

音声学と音韻論との関係

音声学と音韻論とは、言語の音声の研究において、車の両輪のように、互に他を相俟って始めて、正しい研究が進められるべきものであるとする説である。

*「音素」

「音韻論」で取扱う最小単位を音素という。概していえば、音声学にいう「単音」に該当する。単音は音声の一部であって、現実的事実であるが、音素は、帰納によって設定される所の、仮定的単位である。

? 音素とは Daniel Jonesの説で

「或る言語における単音の一団であって、それらの単音は互に関係ある性質を備え、そして、同じ音声の環境の下では、一語の中で、どの単音も、他の何れの単音も現れないような状態で用いられるもの。」

? 音素とは の説で

「音声的類似を有し、しかも非対立的な、単音の一類。」

* * *

音声記号は〔 〕

音素記号は//と規定される。

*相補的分布

音素論において、音声的類似を有する(言換えれば、聴覚的或いは調音的に共通点を有する)二つの単音が、決して同一の音声環境に現れないとき、これらを互に「相補的分布をなす」といい、それらの二つの単音を「条件異音」という。

例えば、

〔a〕の前に必ず〔k〕が現れて、

〔 k 〕は現れず、〔i〕の前に必ず〔 k 〕が現れて、〔 k 〕は現れないから、〔 k 〕と〔 k 〕とは相補的分布をなし、条件異音であって、共に同一の音素/ k /に該当する。

音素体系

一つの言語においては、各「音素」は互に他の「音素」と関連を保ちつつ、体系をなして存在する。この体系を音素体系という。例えば、

日本语言语学

「声」の

有無によって、「有声音」と「無声音」との対立があり、鼻腔の共鳴の有無によって、「鼻腔音」と「口腔音」との対立がある。

有声音:/g,d,b/ 無声音:/k,t,p /鼻腔音:/m,n,? / 口腔音:/b,d,g/

子音音素

/h, ’;m,n,?;r;p,t,k;b,d,g;c,s,z,/

半母音音素 * 母音音素

/ j,w/ * /i,e,a,o,u/

モーラ音素*

/N/ /Q/(*単独でモーらを形成するもの、後述)

日本語の音節の構造

一定の規則に従って結合して(音韻的)音節を形成する。子音音素を/C/、母音音素を/V/、半母音音素を/S/とすると、次のように表わされる。

/CV/、 /CVV/、/CVN/、/CVQ/、/CSV/、 /CSVV/、/CSVN/、 /CSVQ/

/VV/は同一母音音素の連続に限るが、/V’V/は異なる母音音素の連続である。

例えば:

/teekjoo/〔te?kjo?〕(提供)/kookuu/〔ko?ku?〕(航空)

その外:/ka’o/(顔)/ko’eru/(超える)

説明:/g/に始る音節は、自立語の頭に立ち、/?/に始る音節は、自立語の頭以外の位置に立つ。例えば

/gaQkoo/(学校)、/ka?i/(鍵)

/gu’a’i/(具合)/?u?oo/(都合)

説明:/ca/、/co/などの結合は、一般に/Q/の後に立つ。

例えば、

/’otoQca? /(おとっつぁん)、/goQcoo/(ごっつぉう)

説明:/?/(はねる音)に終る音節は、如何なる子音音素の前にも、単語の末尾にも立ち得るが、母音音素と半母音音素の直前には立たない。立つように見える場合もあるが、それは実は/’V/、/’SV/などの前に立つと見るべきである。例えば:

/ke?’a?/(懸案)/ke?’jaku /(倹約)/de?’wa /(電話)/ho?’i/(本意)

など、そうである。

/Q/(つまる音)に終る音節は、普通、母音音素/p,t,k,c,s,/となどの間に立つ。

例えば、/juQkuri/(ゆっくり)/riQpada/(立派だ) /saQsoku/(さっそく)

どのような単語でも、非常にゆっくりと、音節ごとに切って発音することができる。その際、/VV/、

/VN/、/VQ/は、何れも二つに切って発音される。

/ koo’e?/(公園)〔コ?オ?エ?ン〕/ gaQkoo/(学校)〔ガ?ッ?コ?オ〕

以上のように発音した一つの音節を「モーラ」(mora)という。

/ koo’e?/、/ gaQkoo/は何れも二音節であるが、「四モーらの上に立つ」又は「四モーらである」という。

日本語のモーラ

/′a ′i ′u ′e ′o ′ja ′ju ′jo ′wa /

/ka ki ku ke ko kja kju kjo /

/ga gi gu ge go gja gju gjo /

/?a ?i ?u ?e ?o ?ja ?ju ?jo /

/sa si su se so sja sju sjo /

/za zi zu ze zo zja zju zjo /

/ta ti tu te to tja tju tjo /

/da de do/

/na ni nu ne no nja nju njo /

/ha hi hu he ho hja hju hjo /

/pa pi pu pe po pja pju pjo /

/ba gi gu ge go gja gju gjo /

/ma mi mu me mo mja mju mjo /

/ra ri ru re ro rja rju rjo /

/′N Q/(以上、服部博士の論は、『言語学の方法』所収「日本語の音韻」による)

この他、次のような性質も認められる。

*和語(固有の日本語)では/ha、 hi、hu、he、ho/は語頭に来ることが多く、語中?語尾に来ることが少ない。

*/r,ɡ,z,d,b/で始るモーラを語頭に持つ語は、和語には少なく、多くは漢語又は外来語である。

*/pa/で始るモーラを語頭に持つ語は、外来語には一般に多いが、和語では、多くは語中語尾の、しかも/Q/の次に用いられる。

*日本語の音素と単音との間には、大略次のような関係が認められる。

① /u/は東京方言では多く〔?〕である。② / i /は〔i〕であるが、原則としてその直前の子音が口蓋化している。例えば、 / ki /は〔ki〕、/si /は〔?i〕、 /ni /は〔?i〕ということである。③/h/は/e, a ,o /の前では〔h〕であり、 /u/の前では〔φ〕又〔x〕であり、 /i/の前では〔?〕である。④/z/は/ e, a ,o,u/の前では〔?〕であり、 /i/の前では〔?〕である。⑤/s/は/e, a ,o,u/の前では〔s〕であり、 /i/の前では〔?〕である。⑥ /c/は/u/の前では〔?〕であり、 /i/の前では〔?〕である。⑦ /N/は「撥音」「はねる音」とも言われ、 /p,b,m /などの前では〔m〕、 /d,n/ などの前では〔n〕、 /k,ɡ/ などの前では〔?〕、語の最後どでは〔N〕である。⑧ /Q/は「促音」「つまる音」などとも言われ、 /T/とも書かれる。/p/の前では〔p〕、/t,c/の前では〔t〕、 /s/の前では〔s〕、 /k/の前では〔k〕を、夫々予想しつつ、〔?〕で現れる。

清音?濁音?拗音

清音とは、「ア」「キ」「ソ」など、仮名で書いた場合に濁点を附けないで表わすものであり、その中には、「ア」「イ」「ウ」のように母音音素だけから成るもの、

「カ」「シ」「ソ」のように無声音の子音音素と母音音素とから成るもの、 「ナ」「ム」のように有声音の子音音素と母音音素とから成るもの、「ヤ」「ワ」のように半母音音素と母音音素とから成るものがある。

濁音とは「ガ」「ジ」「ブ」など、仮名で書表わすとき、濁点を附けるもので、必ず有声音の子音音素と母音音素とから成る音節である。「濁音」は「清音」に対する概念とされている。

拗音とは、直音(「カ」「サ」「ノ」)などに対立する概念であって、「キャ」「シュ」「ニョ」「クヮ」のように、音節として一つであるが、「ャ」「ュ」「ョ」「ヮ」の仮名を添えて二字で書表わす音をいう。

*この内、「ャ」 「ュ」「ョ」を添えるものを「ヤ行拗音」又は「開拗音」といい、「ヮ」を添えるものを「ワ行拗音」又は「合拗音」という

拗音は本来の日本語には存在せず、漢字音によって始めて生じたものである。平安時代中頃からイ列音の仮名と「ャ」「ョ」と合わせて書表わす方法が興り、やがてこれが固定した。江戸時代には、日本語の中の拗音は、非常に増加したと考えられる。

参考問題:

一、音韻とは何か。音素とは何か。音声学とはどんな関係なのか。

二、相補的分布と条件異音とはどういうことであるか。

三、日本語の音節の構造は何種類あるか。拍数は幾つあるか。

第四節 五十音図といろは歌

「五十音図」は日本語の音節を列挙表示したものである。「いろは歌」は本来は日本語の音節を挙げ示したものであったろうが、実際には「仮名」の字母表として行われてきたものである。

五十音図は最も早く見られるのは、行の順序が異なるが、『悉曇要訣』である。段の順序が、いろいろとあったが、江戸初期以後は殆ど現行順序に固定するに至った。何かを説明する場合に用いられた一般化したのは、明治以後のことである。

その起源については、悉曇より出たとする説、漢字の反切の為に作られたとする説、日本語の音節表として作られたとする説、縦横相通の理を示す為に作られたとする説などあって一定しない。

〔いろは歌〕

略して「いろは」とも言い、「伊呂波」「色葉」などとも書いた。すべての仮名を各一度ずつ用いて七五調四句四十七字の歌としたものである。 いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす

『金光明最勝王経音義』の巻初に載る

その意味は

色は匂へど、散りぬるを、

我が世誰ぞ、常ならむ、

有為の奥山、今日越えて、

浅き夢見じ、酔ひもせず

桜の花の色は美しく照り映えるけれど、 はかなく散ってしまう。 それと同じように我々の人の世も、誰が何時までも、変わらないことがあろうか。何時も移り変わって無情である。無情の世に喩えられる奥山を今日越えていくような人生で、浅い夢を見るように眼前の事象に惑わされることなく、酒に酔うようにわけもわからないまま、生涯を送ることのないようにしよう。

参考問題:

一、いろは歌を覚えておいてみよ。

二、五十音図はどういうわけで作られてきたか。

第五節 漢字音

漢字のよみ方を大別して、「音」と「訓」との二種とする。「音」は「字音」「漢字音」ともいい、漢字の原音に基いて日本において固定した音であ

る。

個々の漢字の字音は大体中国語一単語に相当するもので、中国語原音では各一音節から成っているが、日本に入って字音と成ったものは通例一音節乃至二音節として発音される。

字音は「声」と「韻」との二つの部分からなる。「声」は「韻」の前に在るもので、時に子音を欠くこともある。

漢字音の種類:

漢字音は「呉音」「漢音」「唐音」の別がある。

呉音 漢音 唐音

経 キョウ ケイ キン

行 ギョウ コウ アン

下 ゲ カ ア

和 ワ クワ ヲ

漢字の読み方としては

労働、学習、読書、散歩???音読み

働く、学ぶ、読む、歩く???訓読み

大勢、荷物、身分、見本???湯桶読み

台所、両替、毎月、上手???重箱読み

というように四つあるのは普通である。

参考問題:

一、漢字の読み方は幾つあるか。

二、漢字音の種類は幾つあるか。

三、漢字音の難しいところはどこにあると思うか。

第六節 アクセント

個々の語について、社会的慣習として一定しているところの相対的な高低又は強弱の配置を「アクセント」という。

世界諸言語のアクセントには「高さのアクセント」(pitch accent)と「強さのアクセント」(stress accent)との二種類ある

「高さアクセント」は又「高低アクセント」とも言い、音節に高い音節と低い音節との二段階があって、この二種の音節の組合せによって語のアクセントが構成されるのである。

高低の段階は相対的な比較であって、絶対的な高さの差ではない。

例えば、ハシ(箸)、コトバ(言葉)など。

一つの語には必ず一定のアクセントの型があり、その型に従って発音される。

高い部分が一ヶ所だけに限られ(高い音節が長く連続することもある)、高い部分が二ヶ所以上になることは原則として存在しない。

一語の中に高い音節から低い音節に下る部分を含むことがあって、その部分を「アクセントの滝」といい(又、「アクセントの滝」は語の直後にあることもある)、その直前の音節に「アクセントの核」があるという。

例えば、「ハ」「バ」に核があり、その直後に滝があるとされる。

アクセントの型はそのアクセント核の有無によって、「平板式」と「起伏式」とに二大別される。

その特徴は第一音節と第二音節とが必ず高さが異なるということである。

「〇〇???」「〇〇???」という型だけ、

「〇〇???」「〇〇???」は存在しない。

音節数 ① ② ③ ④ ⑤

平板式 ヒ ハシ ウサギ トモダチ タマゴヤキ

(日) (端) (兎) (友達) (卵焼)

起伏式 ヒ ハシ ノギク タンポポ オツキサマ

(火) (箸) (野菊) (蒲公英) (お月様)

ココロ アサガオ オカアサン

(心) (朝顔) (お母さん)

アマガサ アカガエル

(雨傘) (赤蛙)

ハシ オモテ イモウト オショウガツ

参考問題

一、アクセント及びにその分類を述べてみよ。

二、アクセントの型とその特徴を、例を挙げて簡単に述べてみよ。

第二章 文字

第一節 文字の性格

文字言語(書き言葉)は、言語の一形態であって、音声言語(話し言葉)と並存するものである。

一般に言語の歴史に於いては、先ず音声言語が存し、それに基いて、後に文字言語が成立したと考えられる

日本語において、文字言語の特色は

(一)表現者と受容者との媒介物が文字であること

(二)表現者と受容者との間に、時間、空間の隔たりが存在し得ること

(三)必ずしも待遇表現(敬語など)を必要としないこと

(四)原則として、アクセントを表現せず、又、方言でなく共通語を用いること

(五)時に、よみ方が一定しないような文字が用いられ、又、符号などが併用されること

文字言語が音声言語より勝れている点は

①言語表現の瞬間ばかりでなく、後の時期にまで保存しやすいこと

②遠隔の地まで移動し得ること

③煩わしい待遇表現を用いずに済ませ得ること

④共通語であるので、方言よりも広い範囲の人々の間に通用すること

⑤複雑な内容を有する事柄や思想などを、表示したり、注を附したり、図式等と併用したりし得ること

⑥印刷に依るときは、一時に多数の人に対して伝達し得ること

音声言語より劣っている点は

①文字を記憶し、書写または読解する能力を獲得するために、多年の学習を必要とし、筆写に多大の時間を要すること②多くの場合、話手、聞手が対面しないから、話手の微妙な意志?感情等が十分に伝達されない虞があること

〔文字概念〕

文字には、我々が目に見える所の、線の集合としての物理的な実体と、それの裏付となる「文字概念」とが存在する。

文字を読む人と書く人とはこの「文字概念」を共有している故に、文字による思想の伝達が可能なのである。

「文字概念」は同一の言語社会においても、年齢?教養などの差によって、成員毎にその保有量に差のあることが通例である。そうでない場合は、とても読むことも、書くことも、思想の伝達ができないことである。

〔文字の分類〕

種類が多いけれど、主として一定の意味を表わすか、或いは主として一定の音を表わすかによって、 「表意文字」と「表音文字」とに二大別される。

漢字?古代エジプト文字

ギリシア文字?ローマ字?仮名

表意文字は多くは一字毎に一つの語を表わし、一定の意味を有する文字である。しかも、更に、必ず一定の読み方をも備えているのであるが、その読み方は、必ずしも一音節又は一音素だけから成立っているとは限らず、又、同時に一つの字が多くの異なったよみ方を併有することがある。

表音文字は一字毎に一定の音を表わすものである。しかし単に音を表わすだけではなく、多くは二字以上が集合して一語を形作り、それによって一定の意味をも表わすのである。

表音文字は、その表わす音の単位によって、音節を表わす「音節文字」と音素を表わす「音素文字」とに分けられる。平仮名?片仮名は音節文字であり、ローマ字は音素文字である。

文字の歴史の中で、表意文字が先に生じ、表音文字はそれから変じて後に生じたといわれる。

参考問題:

一、話し言葉の長所と短所を述べよ。

二、書き言葉の長所と短所を述べよ。

三、文字は何種類あるか。

第二節 漢字

漢字は漢民族によって発明された文字であって、表意文字の一つに属する。それが後に日本に伝えられたのであって、日本では漢語を表記する他、本来の日本語を表記するためにも用いるのである。

〔六書〕

六書とは、象形?指事?会意?形声?転注?仮借をいう。

象形から形声までは漢字の構成法であり、転注と仮借とは漢字の使用法である。

象形とは、物の形をかたどったものであって、絵画と似た性格を有する。

日、月、山、木、馬など

指事とは、形を模写することの出来ない抽象的な概念を表わすために考案した、一種の符号的な文字である。

一、二、上、下、末、未、本など

会意とは、二つ又は三つの文字の形を組合せ、同時にその意味をも合わせたものであって、時には画を省略することがある。「信」は「人」の「言」は「まこと」であるべきものの意。

「位」は「人」の「立」つ場所の意。

「昧」は「日」の「未」だ出ないことから「くらい」の意。

形声は「諧声」とも称し、二つの字を合わせるのに、一方からは音を採り、他方からは意味を採って新しく字を作り、それによって新しい字の音と大体の意味とを知らせようとするものである。

「江」「河」において、左傍のほうは即ち「水」の意味を示し、「工」「可」は発音を示す。

転注とは一つの語が本来の意味から転移して、別の新しい意味を生じたとき、新に字を作らず、もとの文字をそのまま新しい意味を表わすのにも転用することを言う。

「楽」(ガク)は音楽の意であるが、音楽は人の心を楽しませるものであることから、「たのしむ」の意にも用い、音がラクと転じた。又、音楽は人が好むものであるから、「好む」の意に転じ、音もゲウとなった。

仮借とは、意味に関係なしに、同音の語に通用するものである。

「豆」は本来肉を盛る器を意味して、音トウであるが、同じトウの音を有する「まめ」の意に転用した。

「音訳」も、この「仮借」の一例である。

「万葉仮名」も、これに類した用法。

〔漢字の偏旁冠脚〕

漢字の字形が、左右、上下、内外など、二つの部分に分ち得る場合、左の部分を「偏」と言い、右の部分を「傍」(又は「傍」「つくり」)と言い、上の部分を「冠」(又は「かんむり」「かむり」)と言い、下の部分を「脚」という。

又、冠のように上にありながら、然も左に垂れ下るものを「垂」と言い、脚の一種で左方の下部から右下に亙るものを「繞」と言い、四方を囲むもの、又は上方と左右とから下部を挟むものを「構」と言う。

偏:人 禾 舌 貝 食 石など

傍:刀 力 節 筆 殳など 冠:草 老 戸 雨 虎など

脚:烈 心など 垂:雁 麻 病など

構:気 門 行 口 闘など 繞:之 鬼 走 延 麦など

〔漢字の音訓〕

「訓読み」

本来は翻訳に用いる日本語がもとの漢字と離れ難くなって、遂に漢字の固定した訓法として行われるに至った。これを漢字の「訓」という。 「訓読み」

漢字には、漢語音によるよみ方があったのであるが、その音の中には日本語に存在しない種類の音があって、その音を日本語化して発音することがあった。このよみ方を、漢字の「音」という。

〔国字?和字?和俗字?本邦製作字〕 日本で製作せられたものがある。大きく分けて二種ある。

第一は、

①二つの文字を合して一字とするものがある。

麿(まろ)麻と呂との合字 杢(もく)木と工との合字

②漢字の字体に倣って新に字体を作出したものである。

働く:人の動く意 峠:山の上り下りする所の意

鱈 :雪の降る時節の魚の意 噺:口から新しく出すものの意

俤:人の弟は兄の面影を存する意

第二は、字形そのものは漢字にも存在するが、それとは無関係に日本で字義を定めたものである。

偲(しのぶ)原義は相責める意であるが、日本では人を思うの意とする。

沖(おき)原義は空しい又は深いの意であるが、日本では水の中の意とする。

〔宛字〕

宛字とは、誤字や嘘字を含めていう場合もあるが、普通は、漢字本来の意味と関係のないもので、社会的に慣用の固定しているものを指す。 目出度、兎角、呉呉、丁度、呑気

煙草、煙管、倶楽部、珈琲、硝子

参考問題

1、漢字の作り方は何種類か。

2、漢字の字数はいくつあるか。

3、漢字の分類と機能を例を挙げて、説明せよ。

第三節 万葉仮名

「万葉仮名」は「真仮名」ともいわれ、日本語を書表わすための漢字の用法の一つであって、漢字のよみ(音又は訓)を用いてするものである。多くの場合、万葉仮名によって表わされた日本語の意味と、その漢字の本来の意味とは、互に無関係である。

「万葉仮名」という呼称は、「万葉集」に多く用いられていることに基いたものであるが、「万葉仮名」は、奈良時代よりも遥か以前から使い始められ、末は長く後世にまで及んでいる。

「万葉仮名」は、「音のよみ」を用いた「音仮名」と、「訓のよみ」を用いた「訓仮名」とに二大別することが出来る。

例えば:「なつかし」という日本語を表わすのに、「奈都可之」、「奈都可思」と書いた万葉仮名は音仮名であり、「名津蚊為」、「夏借」、「夏樫」と書いた万葉仮名は訓仮名である。又、一つの語の中で、「夏香思」のように、音仮名(思)と訓仮名(夏香)とが併用されることがある。

「音仮名」は、漢字一字で日本語一音節を表わしているものが多い。「阿」「宇」「多」「美」のように原音と全く又は殆ど同じ音の場合もあるが、「安」「当」「末」「甲」のように、原音の末音の一部を省いて日本語音に宛てたものがある。

「訓仮名」には、一字で日本語一音節を表わすものが多いが、その他、一字で日本語二音節又は三音節を表わすもの、二字で日本語一音節又は二音節を表わすものなど、複雑な用法のものがある。

一字一音節:八間跡、 千羽八振

ヤマト チハヤブル

一字二音節:鶴寸 阿白 偲食

タヅキ アジロ シノハム

一字三音節:写心 下

ウツシゴコロ イカリオロシ

二字一音節:五十 嗚呼

イ ア

二字二音節:小竹 葉背 十六

シノ ハセ シシ

奈良時代には『古事記』『日本書紀』『風土記』などでは、地名?神名?人名以外には、音仮名のみを用いたが、古文書や『万葉集』では、音仮名と訓仮名とを用いた。『万葉集』では殊に万葉仮名の用法が複雑であったが、その中には故意に技巧を弄したものがある。

奈良時代においては、同じ語を表わすのに、多種の字母の万葉仮名が使用されていた。

例えば:「やま(山)」を表わすのに、「也末」「夜麻」「野痲」「夜痲」「耶麻」などの文字が用いられた。

「上代特殊仮名遣」は、奈良時代の末から乱れ始め、平安初期には、多く混同してしまったが、これは当時において、音韻の区別があったためではなく、古い時代の文献の万葉仮名を踏襲した結果であろうと考えられる。

参考問題

1、万葉仮名とは何か。その読み方と漢字の意味とは何か。

2、音読みと訓読みの仮名を分類して述べてみよ。

3、漢字と音節の関係について、例を挙げて説明せよ。

第四節 仮名

一、平仮名

平仮名は、古くは単に「かな」「かんな」ともいわれ、又、「女手」「女文字」とも呼ばれた。仮名の一種であり、音節文字の一である万葉仮名の字体を草体化したものであって、多く曲線の部分から成っている。

現代用いられる平仮名の字源は次の通りである。

い(以)ろ(呂)は(波)に(仁)ほ(保)へ(部)と(止)、ち(知)り(利)ぬ(奴)る(留)を(遠)、わ(和)か(加)よ(与)た(太)れ(礼)そ(曽)、つ(川)ね(弥)な(奈)ら(良)む(武)、……。

二、片仮名

片仮名は「片仮字」とも書き、古くは「かたかんな」とも呼ばれた。「平仮名」と並んで仮名の一つであり、音節文字の一種である。独立性が乏しく、表音的性質が強い。外国語、擬音語、電信文などを用いるのは、この性質の現れである。

現代用いられる片仮名の字源は次の通りである。

イ(伊)ロ(呂)ハ(八)ニ(二)ホ(保)ヘ(部)ト(止)、チ(千)リ(利)ヌ(奴)ル(流)ヲ(呼)、ワ(和)カ(加)ヨ(与)タ(多)レ(礼)ソ(曽)、ツ(州)ネ(弥)ナ(奈)ラ(良)ム( )、……。

三、音符

音符には濁音符、半濁音符、促音符、撥音符、長音符などがある。何れも仮名などに書添え、又はそれらと併用されるものである。

参考問題

1、平仮名と片仮名の由来を例で説明せよ。

2、音符について簡潔に述べよ。

第五節 仮名遣

「仮名遣」という語は、「上代特殊仮名遣」「仮名遣及仮名字体沿革史料」などという時のように、仮名の用法の実体を意味することもあるが、現在一般には「仮名の使い方に関する準則」の意に用いられる。「現代かなづかい」「歴史的仮名遣」などをいう時は、この意である。

仮名の文字の数は、「いろは歌」によって網羅される所の、四十七(「ん」を含めれば四十八)と考えられている。所が、現在それらの仮名で表わされる音節の種類は、四十四(清音。「ん」含めば四十五。他に濁音、半濁音、促音、拗音若干ある)である。

このように、同一の音節を、仮名によって表記されるのに、二通り以上の方法がある場合、二つの立場がある。第一は、どの仮名でも無差別に自由に使ってよいとする立場であり、第二は、どれか一つに定めて、それだけを正しいとし、他を誤りとする立場である。

音節 i い ゐ ひ(語中語尾の場合 e え ゑ へ(語中語尾の場合)

o お を ほ(語中語尾の場合 u う ふ(語中語尾の場合)

wa わ は(語中語尾の場合) zu ず づ ka か くわ

昭和21年、国語審議会は「現代かなづかい」を決定答申し、政府がそれを採用して、内閣訓令並に告示として公布し、それが教科書にも採用され、大新聞等も同調して、世間に広く行われるに至った。基準としての不合理な点があり、改訂を主張する論もある。

参考問題

1、仮名遣とは何か。

2、仮名文字の基準は何かを述べてみよ。

3、仮名文字を使うのに注意する所を説明せよ。

第六節 ローマ字

ローマ字は、ラテン文字とも呼ばれ、表音文字の一種であって、音素文字に属する。日本にローマ字が伝えられたのは室町末期であったが、一時に禁止されたことがある。明治以後は、盛んになるにつれて、日本文字に変えようとする運動も起こるに至った。

〔ローマ字の綴り方の沿革〕

日本語において、ローマ字の綴り方が「標準式(ヘボン式)」と「日本式」との二つある。違いは、主に次の通りである。

シ チ ツ フ ジ ヂ ズ ヅ

標準式 shi chi tsu fu ji ji zu zu

日本式 si ti tu hu ji ji zu zu

明治18年に羅馬字会はローマ字による日本語のつづり方を決めて発表したが、その方針は、子音を英語より採り、母音をイタリー語の音(即ちドイツ語又はラテン語の音)を採用することであった。

*J.C.Hepburn, (1815-1911)アメリカ人宣教師

昭和29年、内閣訓令?告示として、その綴り方を公布した。「一般に国語を書表わす場合」は、第一表により、「国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合に限り」第二表によっても差支ないとしている。日本式を基にして、標準式を併せて認めた形である。

「訓令式」ローマ字綴り方 第一表

a i u e o

ka ki ku ke ko kya kyu kyo

sa si su se so sya syu syo

ta ti tu te to tya tyu tyo

na ni nu ne no nya nyu nyo

ha hi hu he ho hya hyu hyo

ma mi mu me mo mya my myo

ya (i) yu (e) yo

ra ri ru re ro rya ryu tyo

wa (i) (u) (e) (o)

ga gi gu ge go gya gyu gyo

za zi zu ze zo zya zyu zyo

da (zi) (zu) de do (zya) (zyu) (zyo)

ba bi bu be bo bya byu byo

pa pi pu pe po pya pyu pyo

第二表

sha shi shu sho

tsu

cha chi chu cho

fu

ja ji ju jo

di du dya dyu dyo

kwa

gwa

wo

参考問題

1、ローマ字の綴り方の種類は幾つあるか。

2、ローマ字の綴り方のくい違いは別々に教えよ。

第三章 語彙

第一節 意味

言語表現において、言語主体たる話手は、表現の素材たる具体的事物又は表象を概念化し、それを音声(又は文字)の形として表出のであるが、その概念化の過程を、音声(又は文字)との対比において、「意味」と称する。

聞手が、音声(又は文字)を受容して、それを概念化する過程についても、同様である。

換言すれば、「意味」とは、言語主体が、素材を把握する、その仕方の意である。

「正解」とは何か。

話手の把握の仕方と同じ把握の仕方を聞手が遂行した場合、即ち、話手にとっての「意味」と、聞手にとっての「意味」とが一致した場合、この言語行為は正常に完遂されたことになるということである。

「誤解」とは何か。

話手と聞手との間に、把握の仕方の相違することも多く起る。この場合聞手の側で、話手と同じ把握をしたと思い込んでいる。換言すれば、聞手にとっての「意味」が、無意識的に話手にとっての「意味」と相違している場合をいう。

「曲解」とは何か。

話手?聞手の両者の把握の仕方が相違し、しかも聞手が話手に対して悪意を抱き、それに基いて意識的に話手と別の「意味」として受容する場合、これを「曲解」という。

〔類義語?多義語?同音語〕

客観的な表現対象は同一であるか、又極めて類似しているのに、語形の異なる一群の語がある。これらは、表現対象に対する話手の把握の仕方の相違によって生ずる現象で、従って「意味」は、大体は類似していても、厳密には互に異なるのである。このような語を「類義語」という。 語形が異なるが、意味内容が同じであるか似ている語のセットを類義語という。

意味のずれが四つに分けられる。

イ、殆ど重なり合う関係

腐る/腐敗する 来年/明年 投手/ピッチャー 双子/双生児

ロ、一方が他方を包摂する関係

くるま/自動車 うまい/美味しい 豆/大豆 木/樹木 幅/幅員

ハ、夫々の一部分の重なり合う関係 家/うち 近づく/近寄る

果物/果実 机/テーブル

ニ、隣接する関係

貯金/預金 駐車/停車 戦略/戦術 児童/生徒/学生

文体的感情のずれ

イ、古めかしい感じ(右の方)

財産/身代 石鹸/ジャボン 家庭/所帯 バス/乗合自動車

ロ、新鮮な感じ(右の方)

台所/キッチン 拳銃/ピストル 買物/ショッピング

ハ、改まった感じ(右の方)

決める/定める 任せる/委 気持よい/快い

ニ、 優雅な感じ(右の方)

集まり/集い 休む/憩う 夕方/黄昏 目/眼

ホ、下品な感じ(右の方)

ご飯/めし 食べる/食う 美味しい/旨い 為る/やる

ヘ、卑しめる感じ(右の方)

男/野郎 女/あま

言う/ほざる 死ぬ/くだばる

ト、忌まれる語感(右の方)

目の不自由/めくら 手洗/便所 暴行/強姦 亡くなる/死ぬ

類義語の使用上の注意:

1、文の表現の適かどうか、知的意味と情的意味との両方から考える。

2、類義語の違いが使い手によって認められる。

3、品詞の違いに注意すべきである。

意味的に相互対立?対応する関係にある語のセットを反対語という。三つの種類がある。

イ、相補関係:一方を否定することが、他方を主張することになる絶対的な対立関係。何れも他方を相俟って始めて存在し得る。

男/女 表/裏 生きる/死ぬ ある/ない 東/南/西/北

ロ、相対関係:一方を否定することが他方を主張することにはならない。

/善 白/黒 高い/低い 騒がしい/静かだ 多い/少ない

ハ、反対関係:一方を否定することが他方を主張することにはならない点に於いて、前に似ているが、方向が反対する特徴を持っている。

買う/売る 教わる/教える 着る/脱ぐ 借りる/貸す

反対語の特徴:

イ、同一範疇で成立する。ロ、反対語は語と語との意味関係で、語の否定連語の意味ではない。しかし、反対意味的形態素を持つ語では勿論そんな関係が成立する。ハ、品詞性が一致することを原則とする。

ニ、反対語の関係は語彙全体に及ぶものではなく、一部の意味関係である。形容(動)詞には反対語が最も多く、動詞、名詞がそれに次ぐ。ホ、反対語は現実の対立?対応関係を反映するだけではなく、現実には対立?対応関係がなくても、人間がそれを対立的に捉えると、反対語に成りうる。だからこそ、同一の語が様々な対立語のセットを作ることが出来る。

「多義語」

「多義語」における語の意味は相互に関連し、一から他が派生したことが多い。本来の和語は語彙が少なく、そのために、「多義語」が多く生じたと考えられる。

例えば:「もの」が「物体」「品質」「飲食物」「事実」「言語」「邪気」などの意、「やる」が「前方へ進ませる」「遠方へ放つ」「与える」「除く」「殺す」などの意を表わす。

反対語の使用上の注意:

其一、多義語は夫々の意味項目によって、単義語と反対語のセットを作ることができる。

高い 低い(高さ) 安い(値段)

子供 大人(年齢関係) 親(家族関係)

又、多義語と多義語の意味項目との間には多角的関係が成立し、類義語には反対類義語というものがありうる。

おいしい まずい(味)

うまい 下手だ(能力)

其の外、多義語でなくても、意味範疇が多様なものは多角的多義関係が成立し得る。

兄弟 姉妹(性別)

兄姉 弟妹(年齢)

兄妹 姉弟(年齢?性別)

同一の音韻を持つ語形が、同時に二つ以上の異なった意味を表わし、しかもそれらの各の場合に於いて、語源が異なるものを「同音語」又は「同音異義語」という。

例えば、「コウセイ」という語が〔構成〕〔校正〕〔公正〕〔攻勢〕〔後世〕〔更生〕などの意味を漢字で弁別される。

参考問題

1、意味の理解には幾つあるか。

2、語の分類を述べてみよ。

3、同音語の中で漢字の役割を、例を挙げて説明せよ。

第二節 語彙

語を何等かの基準によって分類した場合、その同類の一群を「語彙」という。語の分類には種種の基準?方法がある。

①語の発音による。②語を表わす文字の字形によるもの。

③語の文法的性質によるもの。④語の使用頻度数によるもの。

⑤語の学習上?日用上などの重要性によるもの。⑥語の本籍(出自)によるもの。

⑦語の用いられる地域によるもの。⑧語の用いられる言語主体の相違によるもの。

⑨語の用いられる位相(社会?職業?行事など)によるもの。⑩語の用いられる時代?文献によるもの。

?語の意味によるもの。

〔日本語の語彙の特色〕

日本語の語彙は極めて多様な性格を有する。出自の点で、本来の国語(和語?やまとことば)?漢語?外来語があり、位相の点で、文語体特有の語彙?口語体特有の語彙がある。次のような特徴がある。

ホ、生活上基本的な語には古来の語が多い。

エ、雨や風に関する語が多いが、星の名を表す語が少ない。

ト、語彙に待遇の範疇がある。

〔意味の交渉と対立〕

「ある語を中心として、それと相互に影響関係を及ぼす範囲」のことを意味の場という。

纏う 着る 装う

脱ぐ

…指輪 はずす

……着物

着る……背広

……ドレス

羽織る………… 脱ぐ

装う ……ズボン

語彙はその言語社会の文化の様相を反映するものであって、日本語の語彙がこのように多様であることは、日本社会の包含性?階級性?閉鎖性などを示していると言い得よう。

参考問題

1、語彙とは何か。

2、日本語の語彙の特徴を述べてみよ。

3、語彙の場を例を挙げて、説明せよ。

第三節 和語と漢語

漢語?外来語の渡来する以前から既に日本に存在した語、又はそれから転化?派生した語を総称して、「和語」又は「やまとことば」という。「和語」は、その語の数(種類)こそ少ないけれども、日本語の基本的な語彙を多く含んでいる。

日本が大陸文化に接した際、極めて多くの外国語(漢語)を日本語(和語)の中に取入れたが、これは、日本人の大陸文化に対する崇拝と、和語語彙の貧困とに原因すると考えられる。

「和語」は、語形の基本的な形が短く、多くは一音節又は二音節から成り、三音節、四音節のものが非常に少ない。

その代り、接辞との複合、語と語との複合によって「複合語」(又は「熟語」)を作ることが多い。その中で、「日々」「時々」「津々浦々」「女女し」「絶え絶え」のように、同語の重ねたものを「畳語」という。複合語を作った場合、「谷川」「木枯れ」のように、清音が濁音化することがある。これを「連濁」という。

〔漢語〕中国からの借用語、及び日本においてその形を模して漢字によって作った語を「漢語」という。漢字の字音で読むので「字音語」ということもある。

漢語には、漢字一字でなるものがあるが成るもの、ニ字で、三字で又はそれ以上で成るものなどがあるが、二字でなるものが最も多い。 漢語を構成する漢字の字音には「呉音」「漢音」「唐音」などの別がある。

呉音には古く伝来した草木?薬品?器物?禽獣などの名、及び仏教のものが多く、漢音の語には、主として平安時代以降の漢籍の訓読及びそれに関連する摂取された概念や事物が多い。唐音の語は、鎌倉時代以後、禅宗と共に伝えられたものが多い。

漢語が日本語に取入られる際には、一般に体言の資格となる。

①単独で名詞として、運?芭蕉?砂糖②動詞「す」と伴って動詞として、安置す?興奮す?興ず

③形容詞語幹として、美美し?美味し④形容動詞の語幹として、断乎と?漠然と?頓に?自然に

漢語の中には、日本で新に作成したものがある。「出張」「見物」「火事」

又欧米文化によって「自動車」「会社」「哲学」など多くの漢語が作られた。和語と共に複合語を作ったものがある。それで、新たなよみ方が出来た。 湯桶読…赤本?大勢?荷物?身分?小僧

重箱読…座敷?台所?毒矢?両替?本屋

というようなよみ方は平安時代末頃から現れ始め、中世以後急激に増加したもののようである。

それで、漢語のよみ方は四つあると言い得よう。

音読み?訓読みの外に、湯桶読みと重箱読みがあるということである。

参考問題

1、和語とは何か。漢語とは何か。

2、和語と漢語の語構成の特色を述べてみよ。

3、漢語の読み方について、例で説明せよ。

第四節 外来語

外国語を自国語の体系の中に取入れたものを「外来語」又は「借用語」という。日本語においては、「外国語」と対比して、「外来語」は比較的日本語化した場合を指すことが多い。漢語は他の言語からの場合よりも、日本語との融合の度合が甚だしく、外来語とは別扱する。

一般に、借用は文化の程度の高い国の言語から低い国の言語へ行われることが多く、又、文化的接触の大きい場合ほど、多くの借用が行われるのが常であって、日本語においても、室町時代にポルトガル語、その次オランダ語、明治中期以後英語が多く、第二次大戦以後はアメリカ語の氾濫。

ポルトガル語からの借用語には、キリシタン関係のものと通商関係のものなどがあった。オランダ語から医学?薬学?物理学?工業などの語が借用された。フランス語は芸術?文学?演劇?服飾?料理関係に多く、ドイツ語は医学?哲学関係に多い。中国から入った「チャプスイ」(雑砕)「マージャン」(麻雀)「ギョーザ」(餃子)などもあるが、その数は少ない。本の44ページを参照

参考問題

1、外国語と外来語とはどんな区別があるか。

2、外来語の出来た理由を述べてみよ。

3、日本語における外来語の主な種類を例で説明せよ。

第五節 位相

同じ言語でも、話手の性別?年齢?職業?階級その他によって種々の異なった姿を呈することがある。これを言語の「位相」という。

言語の位相は先ず「男性語」「女性語」「児童語」など、性別?年齢別による区別が立てられる。

「男性語」と「女性語」の間には、代名詞?助詞などにおいて、相違があり、又、女性独特の敬語を用いることがある。「児童語」は成人の言語との間に、音声学的な音声の相違がある他、音韻?文法?語彙など種々の点に相違があるが、これらは何れも不完全?不十分なものとして成人することに従って矯正されることが期待されているものである。

又、社会?職業の相違によって、その社会だけに専ら用いられる言語がある。学生語?軍隊語?宮廷語?盗賊語などがこれである。学生語が故意にドイツ語を多く用いたり、軍隊で特殊な名称や代名詞を用いたり、盗賊が外部に知られないために特殊な語彙を用いたりするのは、この例である。 古くは、「斎宮忌詞」「武士詞」「女房詞」「廓詞」など、特殊な位相語があった。

「斎宮忌詞」は古く伊勢の斎宮で用いられたものであり、「血」を「汗」、「経」を「染紙」、「法師」を「髪長」というように仏教関係の語や、病気?死などに関する語を避けて、他の語を用いたものである。

「武士詞」

鎌倉時代には武士階級の間で、受身になったり負けたりすることを嫌って、「射られて」を「射させて」、「馬煙」を「馬ぼこり」(「まけぶり」は「負振」に通ずるのを忌んだ)というような例があった。

「女房詞」

もと禁中又は仙洞御所おける女房の用語であったのが、後、足利将軍家?徳川将軍家に仕える女房から町家の女性にまで普及し、その語彙も増加するに至った。餅→かちん 味噌→むし 塩→しろもの 豆腐→かべ。「-もじ」と「おー」の造語法がある。「こもじ(鯉)」「ひともじ(きーねぎ)」「おかつ(かつを)」「おはま(はまぐり)」など。

「廓詞」

廓詞は「廓なまり」「里ことば」などともいう。江戸時代の遊里で遊女などが使用した一種の特殊語の意である。遊女も遊客も身分や生国が様々であったから、それを隠すと同時に、どんな客にも不都合なく取り扱い得るための配慮から生じたと言われている。

「あります」を「ありんす」「ありいす」といい、自称の代名詞に「わっち」「わちき」、対称の代名詞に「ぬし」を用いることなどが、その顕著なものである。

その他、種々の「位相語」が存在していて、秘密の暗号なども、この一種と見ることができる。

参考問題

1、位相とは何か。

2、位相語について、例で簡単に述べてみよ。

3、古くはあった位相語の名称を解釈せよ。

第六節 辞書

多数の単語又は語句を集め、これを一定の基準の下に配列して、その語義を注記した書物を「辞書」という。

辞書においては、語義の他、その後の表記法?発音?品詞名?語源?類義語?反対語?用法?古典等に見えた用例などを示すことがあり、最近ではむしろこの方が一般的である。

辞書には、日本語を見出し語としてその日本語による説明を記したもの、日本語から外国語を求めるためのもの、外国語から日本語を求めるためのもの、などの種類がある。又、一般の語彙を集めたもの、特定の文献又は分野の語彙を集めたもの、の別がある。

日本語の辞書を、語彙の配列の基準によって分類すると、

①漢字の字形(部首など)から、その発音?意味?熟語などを知るもの……漢和辞書

②仮名(語の発音)から、その漢字や意味などを引くもの……国語辞書

③漢字の発音(韻など)によって分類したもの……韻書

④語の意味によって分類したもの……類書

⑤ローマ字(語の発音)から、その語の漢字?意味などを引くものなどがある。

現在広く行われているものは①と②である。 本の62ページを参照

参考問題

1、辞書とは何か。 2、辞書の分類とその基準を述べてみよ。

第四章 文法

第一節 総説

「文法」とは、文、及び文の中における語の、形及び機能についての、体系的現象をいう。

これを研究する学問を「文法学」又は「文法論」といい、時に「文法」ともいう。

「文法」という語には二つの異なった用法がある。第一は、現実に存在する言語の語?文などの形及び機能を客観的に分析記述し、如何なる価値判断をも加えないもので、これを「記述文法」という。第二は、言語表現又は理解に際して準拠すべき基準としての、形及び機能に関する体系であって、これを「規範文法」という。

現代語の実体研究による共通語又は諸方言の文法、古典の文献の文法などは「記述文法」であり、学校で教授される「文語文法」や、外国語学習のための文法などは主として「規範文法」である。「規範文法」は「記述文法」を基とし、それを取捨選択して作られることが多いのであって、両者が全く一致することは稀である。

「文法学」は、体系的な理論の学であって、その説くところは、学説によって一致しないことが多い。それは学者によって、その言語観又は記述の態度に相違のあることに因るのである。それらの中で著名なものは、

山田孝雄博士の学説(『日本文法論』『日本文法講義』など)、 大槻文彦博士の学説(『広日本文典』)、

松下大三郎博士の学説(『標準日本文法』など)、 橋本進吉博士の学説(『国語法要説』など)、

時枝誠記博士の学説(『国語学原論』『日本文法』など)などである。

〔主要な文法学説の要旨〕

一、橋本進吉博士の文法学説

言語の意味よりも外形を重視し、「文節」の概念を設定した点に特徴があり、教科文法として広く普及されている。

例:「今日も/よい/お天気です。 」と三つに句切って言うことができる。

それ以上に句切って言うことは、実際の言語表現にはない。このように、文を実際の言語として出来るだけ多く句切った最も短い一句切を、「文節」と名付ける。「文節」に基いて、語を二種に大分する。一つはそれ自らで一文節をなし得べき語であり、もう一つは、第一種の語に伴い、これと共に文節を作るものである。 (詞と辞)本の95ページを参照

二、山田孝雄博士の文法学説

その特質は、論理的に整然としている点にあり、言語の内容を重視すると言い得よう。さほど広く行われないが、学界においては非常に重視されており、この文法学説の一般に受容せられている点も少なくない。本の91ページを参照

三、時枝誠記博士の文法学説

「言語過程説」に基いている。言語は思想の表現?理解であって、思想の表現過程?理解過程そのものが、言語であると考える。又、言語の表現の内、ただ音声或いは文字によって行われる表現?理解行為のみを言語とする。

本の97ページを参照

先ず「言語の於ける単位的なもの」として、①語 ②文 ③文章

次に、「語」を二大分類として「詞」と「辞」とが立てられる。

①概念過程を含む形式……詞 ②概念過程を含まぬ形式……辞

〔品詞分類〕

単語を文法的性質によって分類した場合、その一つ一つの類の名称を「品詞」という。その分類基準は次のごとく。

①語それ自体に具わっている性格 ②語が文構造の中で果す機能

参考問題

1、文法とは何か。品詞とは何か。

2、三大文法の代表人物、各自の文法上の異同を述べてみよ。

3、詞と辞の文法機能について例を挙げて、説明せよ。

第二節 体言

「体」「用」という語は古く宋学?連歌などに見られ、夫々「本体」「運用」の義であったのであるが、これを文法上の説明に使用したのは、契沖

以来のことである。而して、活用の有無による語の類別の名称として用いるようになったのは義門より始るとされている。

契沖;江戸前期の国学者、歌人。東条義門:江戸後期の国語学者

山田博士は、「体用」の別を、語形の変化を区別することに用いるのは本来の用法でなく、誤りであり、語の実体を表すか、属性を表すかの区別として用いるべきであると主張している。時枝博士は語の起源とその用法とは別であるとし、義門以来の用法に従って、詞の中で他の語との接続関係に於いて、その語形式を変えないものを体言、

その語形式を変えるものを用言と名付けている。

「体言」の範囲については、学説により異同がある。

山田によれば、「概念語」の中ではあるが、その中の「副用語」として、「自用語」の一たる「体言」とは区別される

時枝によれば、「体言」を「活用のない語」の意として定義するときは、「名詞」と「副詞」の類とは、必ずしも厳密に区別する根拠が見出されないのである。

橋本によれば、「詞」(自立語)の中で、活用せず、しかも主語となるものを「体言」と名付けた。

「体言」の中にいわゆる副詞や連体詞を含めることは時枝博士の説には見られる。日本語では、「名詞」と「副詞」との区別は必ずしも明確に附け得ない部分があるから。

一般に主語となり得るものを「名詞」とし、そうでないものを「副詞」とし、又、名詞は単独では他語を修飾することはないのに対して、副詞は単独で他語を修飾することを主な機能とするような区別が行われている。

場合によると、この両方に跨るものもある。 昔、男ありけり。 明日、ヨーロッパに向け出発します。 昔はよかった。 明日は天気だろう。

時に関する言葉、又、数詞はこの性質だ。

「体言の下位分類」

橋本博士は一往「名詞」「代名詞」「数詞」を立てるが、この三者は文節の中での機能は同じであるから区別は不必要とする。

山田博士は体言を「実質体言」と「形式体言」とに分かつ。名詞を実質体言とし、代名詞と数詞を形式体言とする。

時枝博士は体言の中で、自由に主語?述語?修飾語となり得るものを「名詞」と称し、それ以外に「いはゆる形容動詞の語幹」「形容詞の語幹」「いはゆる形式名詞」「接尾語の中、活用のないもの」「漢語の中、語の構成に用いられるもの」「接頭語」の六種を立てている。その他、いわゆる「代名詞」を特に取出し、

これらは事物の概念を表現する語ではなく、常に話手と聞手、話手と表現内容との関係を概念的に表現する語であるとする。別個の系列を作る品詞であるとした。

「こ」「これ」のような「名詞的代名詞」、「この」のような「連体詞的代名詞」、

「こう」「こんなに」のような「副詞的代名詞」というように三種に分類した。

代名詞について、佐久間鼎博士は対応関係があることを指摘し、この体系を「コソアド体系」と名付けた。

人称 わたくし あなた このかた そのかた あのかた どなた

事物 これ それ あれ どれ

場所 ここ そこ あそこ どこ

方角 こちら そちら あちら どちら

関係 この その あの どの

情態 こんな そんな あんな どんな

こう そう ああ どう

こんなに そんなに あんなに どんなに

「形式名詞」は「体言」の一種である。

そんなはずはない。 大変悲しいことだ。

語として或る概念を表現するものではあるが、その概念が極めて抽象的?形式的であるために、常にこれを補足し限定する修飾語を必要とし、修飾語を伴わなければ主語にも述語にも立つことができないような名詞をいうのである。

参考問題

1、体言とは何か。

2、体言の下位分類について述べてみよ。

3、形式名詞と体言の区別を説明せよ。

第三節 用言

「用言」は「体言」の対立概念として用いられる語である。山田によれば、用言とは、「体言」に対立して、属性概念を表明すると同時に人間の思想の統一作用を表わす語であると定義される。又、時枝によれば、「用言」は「体言」に対立する品詞の総括的な名称であって、一語が種々の用法に従って語形の変化するものをいうとされる。橋本によれば、「詞」の中で活用するものが「用言」と名付けた。

用言の下位分類

橋本?時枝両博士は活用の形式によって、「動詞」と「形容詞」とに分ける。橋本は命令形の有無により、時枝は五十音図の一行だけか二行に亙るかの違いによる。

山田博士は語の意味によって、「実質用言」と「形式用言」とに分類し、「実質用言」をば、「形状用言」と「動作用言」とに分ち、

「形式用言」をば、更にこれを「形状性形式用言」(形式形容詞?ごとし)と「動作性形式用言」(形式動詞?す)と「純粋形式用言」(存在詞?あり)との三種に分ける。これは一般の通説とは相当に異なった点である。

形容詞は事物の状態を表わし、動詞は事物の動作?作用?存在を表すが、動詞の中にも「老ゆ」「似る」「見ゆ」「富む」など、状態を表す語もあって、必ずしも適当な分類基準とはいえない。

〔活用の本質〕

用言などが、他の語を伴ったり、或いはそれ自身で終止したりする、「切れ続き」に基く語形変化と見るものである。(時枝)

語の運用の発見が一様でなく、種々の場合があって、夫々の場合に応じて形を変ずるとするものである。(山田)

活用は単なる語の変化ではなく、語の意味に関係したものである。(橋本)

〔活用の型〕

大別して「動詞型」と「形容詞型」とに分つことができる。

動詞型

未然 連用 終止 連体 仮定 命令

五段 -a,-o -i,N,Q -u -u -e -e

一段 -i,-e -i, -e -iru,-eru -iru,-eru -ire,-ere -iyo,-eyo

サ変 -a,-i,-e -i -uru -uru -ure -eyo,-iyo

カ変 -o -i -uru -uru -ure -oi

形容詞型

未然 連用 終止 連体 仮定

-ku -ku -i -i -kere

活用変化を用法の面から見て、「否定法」「連用法」「中止法」「終止法」「連体法」「命令法」などと称することがある。

終止法を二つに分けて、「通常終止法」と「曲調終止法」(ぞ、なむ、や、か、こそを受けて結ぶ)とに分つこともある。

〔形式用言〕

形式体言と対応する概念であって、極めて抽象的存在?状態の概念を表現する故に多くの場合、これを限定する修飾語を必要とする語をいう。 花が咲いている。

それも駄目だとすれば、もはや仕方がない。

ゆっくりお読みなさい。

他の語について、附属的な意味を添えると見て「補助動詞」の名で呼ばれることがある。しかし、「形式動詞」と「補助動詞」は完全に一致するものではない。

お帰りは遅うございます。 我が輩は猫である。

橋本によれば「補助動詞」であるが、 時枝によれば「助動詞」となり、

山田によれば「存在詞」となる。 又、時枝によれば、

水がぬるくなる。 私は実業家になる。

「水がなる」、「私はなる」だけでは意味の表現が全く不完全であり、「ぬるく」、「実業家に」という連用修飾語が必要であって、このような場合の「なる」を「形式動詞」と呼んだ。

参考問題

1、用言とは何か。形式用言とは何か。

2、用言の分類を述べてみよ。

3、用言の変化の本質を例を挙げて、説明せよ。

第四節 副詞

現在一般に「副詞」「連体詞」「接続詞」「感動詞」という品詞が立てられている。これらの品詞は、すべて活用を有せず、又用法の上では、原則として主語?述語となり得ず、専ら修飾語または独立語として用いられるものである。

1本節ではこれらの諸品詞について述べる。

山田博士によれば、「副詞」は「観念語」の中の「副用語」として設定され、所謂「副詞」「連体詞」「接続詞」「感動詞」の総称として用いられている。 そして山田博士は「副詞」を更に分って、「情態副詞」「程度副詞」「陳述副詞」「感動副詞」「接続副詞」の五つとしたのである。 2橋本博士は「詞」の中で活用せず、主語とならぬものを、更に分って「副詞」「副体詞」「接続詞」「感動詞」の四種としている。3時枝博士は、「接続詞」と「感動詞」とは「詞」ではなくして「辞」の一種であるとし、又所謂副詞の中の「陳述副詞」も「辞」に含めている。それ以外の所謂「副詞」「連体詞」は

「詞」の活用のないものであって、「体言」に属するものとする。

〔副詞〕

品詞の一つであって、「詞」に属し、活用を有せず、主として用言を修飾する語を指すとされている。「副詞」はこれを「情態副詞」「程度副詞」「陳述副詞」に三分するのが普通である。これらの名称は、山田博士の始めて用いたものである。

「程度副詞」は、属性の想定をなすが、意義としては単に程度を表わすものをさし、

甚だ 最も 頗る かなり 少し やや の類である。又、程度副詞は

少し右 やや東 もっと後 わずか二人のように、体言を修飾することがある。この際の体言は、主として、方角?時刻?数量を示す語である。 「情態副詞」「程度副詞」の中には、助詞「の」を介して、一般の体言を修飾するものがある。

わざとの学問 かなりの成果 少しの利益

「陳述副詞」とは

明日は恐らく晴天だろう。 もし君が行けば、僕も行く。

「恐らく」「もし」のような語を指す。

山田博士により、陳述の想定をなす語であると規定された。陳述の所在を、用言にあるとするが、これに対して時枝博士は「詞」たる「用言」には無く、「辞」たる「助詞」「助動詞」に在るとし(助詞助動詞が無いときは「零記号」の「辞」に在る)、「陳述副詞」は「辞」を修飾するのであるから、「辞」の一類であると認めたのである。

以上のように、「副詞」の中には性質の異なった三種が認められるのであるが、互に全く無関係ではなく、時には同じ形を有する語が、用法によって「情態副詞」と「陳述副詞」とに分けられることもある。

おおかた仕事も済んだ。(情態) おおかた仕事も済む頃だろう。(陳述)

〔連体詞〕

「詞」の中で、専ら体言を修飾する機能のみを有する語を「連体詞」ということがある。「連体詞」は又「副体詞」とも言われる。

口語では「この その あの どの わが こんな そんな あんな 大した ほんの」など多いが、

文語では「いはゆる あらゆる ある」など少ない。他の品詞からか複合に帰せられるものばかりである。

山田博士はこの品詞を立てず、橋本博士は「副用言」のうち体言を修飾するものを「副体詞」としたが、時枝博士は連体修飾語としてのみ用いられるものを「連体詞」とした。

〔接続詞〕

前の語又は文を受けてそれを下の語又は文に続ける働きをなす語を「接続詞」とする。

それには、語を繋ぐ「及び」「若しくは」「又は」等と、文を繋ぐ「けれども」「そして」「が」等とがある。

山田博士は、「副詞」の一種として「接続副詞」とし、橋本博士は、副用言の内「接続するもの」を「接続詞」としたが、時枝博士はこ の類の語は、語と語、又は文と文との関係を示す所の話手の立場の表現であるとして、これを「辞」の一種と認めた。

接続助詞との相違は

接続助詞は、常に詞と結合して句を構成するのであるが、接続詞は、それに先行する表現に対する話し手の立場の表現であることに於ては助詞と共通するが、形式上それだけで独立している点にあるとする

〔感動詞〕

「ああ」「もしもし」「はい」「いいえ」など、感動?呼掛け?応答を表現する語を「感動詞」と称する。

山田は感動詞を「感動副詞」として「副詞」の一部とし、橋本は「詞」の一部で活用せず、主語とならず、修飾接続せぬ語を「感動詞」と名付けた。時枝はこれらの表現は話手の思想内容を客体化したり概念化したりすることなく、直接表現するものである。これを「辞」の一種と認めた。 参考問題

1、副詞とは何か。

2、副詞ついて、学者による分類を述べてみよ。

3、連体詞と接続詞と感動詞を、例を挙げて、簡単に説明せよ。

第五節 助動詞

「助動詞」は、橋本によれば「辞」(附属語)の一つで活用あるものをいう。時枝は「辞」の中で活用あるものであるが、所属の語彙に出入がある。橋本の辞とは、常に他の語に伴って文節を作るものをいい、活用の有無によって「助動詞」と「助詞」とに分たれる。時枝の辞とは、「詞」に対立する概念で、表現される事柄(「詞」で表される)に対する話し手の立場の直接的表現で、「詞」と「辞」の結合によって初めて具体的な思想表現となる。 そして、「辞」は活用の有無によって「助動詞」と「助詞」とに分たれるのである。山田は用言の語尾が複雑に発達したものとして、「副語尾」と名付けた。 〈橋本〉 〈時枝〉 〈山田〉

る?らる?す?さす?

しむ?れる?られる? 助動詞 接尾語 副語尾

せる?させる

なり?たり 助動詞 助動詞 説明存在詞

だ?です

り(完了) 助動詞 助動詞 動作存在詞の語尾

まほし 助動詞 接尾語 副語尾

たし?たい

ごとし 助動詞 体言ごと+語尾し 形式形容詞

に 助詞?形動の語尾 助詞?指定の助動詞 格助詞

の 助詞 形式名詞?助詞?指定の助動詞 格助詞

と 助詞?形容動詞の連用形語尾 助詞?指定の助動詞 格助詞

あり?ある 動詞?補助動詞 動詞?指定の助動詞 存在詞

す 動詞?補助動詞 動詞?指定の助動詞 形式動詞

いふ 動詞?補助動詞 動詞?指定の助動詞 動詞

なし?ない 形容詞 形容詞?打消の助動詞 形容詞

だらう 指定のだら? 推量の助動詞 説明存在詞+副語尾う

形動の未然形

+推量のう

はべり 動詞?補助動詞 動詞?敬譲の助動詞 存在詞

さうらふ 動詞?補助動詞 動詞?敬譲の助動詞 動詞

ございます 動詞?補助動詞 動詞?敬譲の助動詞 存在詞の位置を

占める語ござい+ます

です 動詞?補助動詞 動詞?敬譲の助動詞 存在詞

でございます 形容動詞連用形 敬譲の助動詞 説明存在詞

語尾+補助動詞 +ございます

ず?まじ?じ? 助動詞 助動詞 副語尾

つ?ぬ?たり?

き?けり

む?まし?らむ?けむ?べし?めり?らし

ぬ?まい?た

う?よう?らしい?ます

山田は副語尾を二大別し、文語の「る?らる」「す?さす」「しむ」、口語の「れる?られる」「せる?させる」を「属性の表し方に関するもの」、それ以外のすべての副語尾を「陳述の仕方に関するもの」とした。

時枝は一般の助動詞はこれを「辞」とし、そこに陳述が表されていると解するが、前の諸語はこれに該当しないものとして、助動詞から除外し、「詞」に含めて、「接尾語」に属するものとした。

〔助動詞と接尾語〕

山田の「副語尾」は一種の「接尾語」であるから、所謂「助動詞」の大部分は「接尾語」と認められることになる。

時枝は「助動詞」は「辞」に、「接尾語」は「詞」に属し、両者は表現形式の上で分別されるとする。

橋本は接尾語と助動詞の判別について、多くの助動詞は、それが動詞の下についても、動詞だけの場合と同じように上の文節を承ける事が出来るが、接尾語の場合には、その承け方の変ることが

往々にしてある。所が、助動詞の中でも、使役?受身(可能?自発)及び希望の助動詞では、接尾語のように、受け方に変化を及すことがあって、この点から、助動詞と接尾語との区別は困難であるとしている。橋本の論では、 例:イ、私は本を見る。 ロ、私は本を見た。 ハ、私は本を見ない。

助動詞が附いても附かなくても、「私は」「本を」との関係は変らない。 例:イ、猫が鼠を捕る。 ロ、猫が鼠を捕られる。 ハ、猫が鼠を捕らせる。

「れる」「せる」が附いた為に、猫との関係が変ったのである。 子どもが転ぶ。子どもが転ばす。 (関係が変った。)

このようにして、橋本は、関係が変るのは接尾語で、変らないのは助動詞だと説明した。どんな語にも自由に規則的に附くものを「助動詞」、ある特定の語だけに附くものを「接尾語」として区別可能であるとしている。

結局、「る?らる?す?さす?しむ」の類は、「助動詞」でなく「接尾語」とするのが妥当と考えられる。

〔助動詞の分類〕

一、意味による分類

指定????????????だ

打消????????????ない?ぬ

回想?完了???????た

推量????????????う?よう?らしい?まい

希望????????????たい

敬譲????????????ます?です

比況????????????ようだ

二、接続による分類

未然形に接続するもの??????(例)ない?ず

連用形に接続するもの??????(例)た?て

終止形に接続するもの??????(例)べし

連体形に接続するもの??????(例)時?所?人

仮定形に接続するもの??????(例)ば

命令形に接続するもの??????(例)ろ?よ

体言に接続するもの????????(例)だ?です

三、活用形による分類

動詞型の活用をするもの??????れる?られる

形容詞型の活用をするもの????たい?ない

形容動詞型の活用をするもの??そうだ?ようだ

特殊な活用をするもの????????だ?ず?た

参考問題

1、助動詞と接尾語とは何か。

2、助動詞の活用の分類を述べてみよ。

3、助動詞と接尾語について、例で説明せよ。

第六節 助詞

「辞」の中で、活用しない語を「助詞」とする。

山田は単語を大別して「観念語」と「関係語」との二つとし、「観念語」を「体言」「用言」「副詞」に分ち、「関係語」を「助詞」と名付けた。 時枝は「助詞」は「辞」の一種であり、事物そのものに対する話手の立場の直接的表現であって、陳述の表現でないから、活用がないとする。何れにしても、助詞は単独で用いられることがなく、必ず他の語(体言?用言?助動詞等)の下に附いて、それ らと共に用いられる語であることが認められる。

橋本は「辞」の中で活用のないものを「助詞」とした。

〔助詞の分類〕

橋本は外形の上から独創的な分類をしたが、これも接続を主とした分類といい得よう。「副助詞」「準体助詞」「接続助詞」「並立助詞」「準副体助詞」「格助詞」「係助詞」「終助詞」「間投助詞」の九種を立てた。又、助動詞?助詞全体を「準用辞」、(助動詞?準体助詞?準副体助詞)、「関係辞」(接続助詞?並列助詞?格助詞?係助詞?副助詞)、「断止辞」(終助詞?間投助詞)の三つに大分し、辞が二つ以上重なって用いられる場合には、 準用辞→関係辞→断止辞

の順序で重なり合うことを示した。

山田は句の中で果たす機能を主として、「格助詞」「副助詞」「係助詞」「終助詞」「間投助詞」「接続助詞」の六種に分った。

時枝は橋本の分類を批判して、辞を詞との接続関係において見ることは、辞の根本的性質を規定するものでないとし、その助詞が、話手のどのような立場の表現であるかという点を基準として、「格を表はす助詞」「限定を表はす助詞」「接続を表はす助詞」「感動を表はす助詞」の四種に分けた。 〔格助詞〕

山田は「一定の成分の成立に関するもの」として一類を立て、初めて「格助詞」と命名した。文語には「の」「が」「を」「に」「へ」「と」「より」「から」の八種を、口語には更に「で」を加えて九種を認める。

橋本は体言(又は、これに準ずるもの)にのみ附き、用言に続くものを「格助詞」と名付け、口語で「が」「を」「に」「へ」「と」「より」「から」 「で」の八種を立てる。「の」格助詞から除く。

イ、「私のが」「行くのを」のように、「のもの」又は「こと」「もの」の意味に用いられるもの???準体助詞

ロ、「山の上」のように、体言に附くもの、及び「一寸の間」「かねての約束」「見ての上」「行けとの命令」「書くだけの手数」のように、副詞や、他の語に種々の助詞の附いたものに附くもので、体言に続いてこれを修飾するもの??????準副体助詞

ハ、「よいのわるいの」「死ぬの生きるの」のように、並立を表わすもの??????並立助詞

時枝の「格を表はす助詞」は、文語に「が」「の」「い」「つ」「な」「を」「に」「へ」「と」「よ」「ゆ」「ゆり」「より」「まで」「から」の十五種(内「い」「よ」「ゆ」「ゆり」の四種は万葉時代)、口語に「が」「は」「の」「に」「へ」「を」「と」「から」「より」「で」「まで」の十一種を立てる。「は」「まで」の用法は

万葉集は歌集である。??????格を表はす助詞

僕は駄目である。??????????限定を表はす助詞

どこまで行くのですか。??????格を表はす助詞

そんなにまで云わなくてもよい。????限定を表はす助詞

「格助詞」は、事柄と事柄との間の関係(「格」)の認定を表現するものであって、多くは論理的思考である。原則として二つ以上重ねて用いられることが無く(「の」と「と」に例外の用例がある)、「格助詞」と「副助詞」とが併用されるときには、互に前後することが出来、「係助詞」と併用されるときには、必ず「格助詞」の方が上に位する、などの性質を持っている。

〔副助詞〕

山田の命名であって、或る用言の意義に関係を有する種々の語に付属して、下の用言の意義を修飾するものと定義し、文語に「だに」「さへ」「すら」「のみ」「ばかり」「まで」「など」の七種、口語に「ばかり」「まで」「など」「やら」「か」「だけ」「ぐらい」の七種を挙げている。「副助詞」と「係助詞」との相違を弁別して、 「副助詞」は用言の意義に従属し、それを修飾するものであり、「係助詞」は用言の陳述に方法を修飾するものであるとした。

橋本の立てた「副助詞」は、断続の意味なく、連用語(用言又は用言に準ずべき語に続く語)にも附くものと定義し、口語で「だけ」「まで」「ばかり」「など」「くらい」「か」「やら」の類をいう。山田の副助詞に相当する。しかし、この他「さうなかったからは」「心配したほどの事もない」の「から」「ほど」のようなものは、連用語に附くことがなく、常に他の語に附いて或る意味を加えて、全体として体言と同じ職能を持ったものを作るとし、これを「準体助詞」と名付けて別種に立てた。

時枝は「副助詞」の類を「係助詞」と共に一括して「限定を表はす助詞」とし、文語で「は」「も」「ぞ」「なむ(なも)」「や」「か」「こそ」「し」「しも」「だに」「すら」「さへ」「まで」「のみ」「ばかり」「など」「づつ」「つつ」の十八種を、口語に「か」「も」「は」「や」「さへ」「ばかり」「ぐらゐ」「でも」「だけ」「しか」「なり」「たり」「こと」「きり」「づつ」「ほど」「だの」「やら」「など」「まで」の二十種を数える。この中には橋本が「並立助詞」に含めた「か」「や」「たり」「だの」「やら」が含まれている。

「副助詞」が「係助詞」と共に用いられる場合は必ず「係助詞」の前に位置し、「副助詞」+「係助詞」の順となる。又、「副助詞」が「格助詞」と共に用いられる場合は、「副助詞」が「格助詞」の後に位する場合と、「格助詞」の前に位する場合とがある。

私にだけ知らせてきた。???格助詞+副助詞

私だけに知らせてきた。???副助詞+格助詞

副助詞には体言から転じたと考えられるものが多い。

「さへ」は「添へ」の転、 「のみ」は「之身」の転、

「ばかり」は「計り」の転、 「など」は「何と」の転、

「だけ」は「丈」の転、 「ぐらい」は「位」と考えられる

〔係助詞〕

これは山田の命名で、陳述をなす用言に関係ある語に付属して、その陳述に勢力を及すものと定義し、文語の「は」「も」「ぞ」「なむ」「こそ」「や」「か」「な」、口語の「は」「も」「こそ」「さへ」「でも」「ほか」「しか」を含めた。橋本は口語の「は」「も」「こそ」「さへ」「でも」「なりと」「しか」「ほか」を「係助詞」と名付けたが、これは種々の語に附いた用言に続く類を一括したものである。時枝は「副助詞」「並立助詞」と併せて、「限定を表はす助詞」とした。

「係助詞」は「格」とは無関係である。次に示すように主格にも連用修飾格にも目的格にも添うのである。

花は美しい。(主格)

美しく見えるが好きでない。(修飾格)

桜はまだ見ない。(目的格)

不定詞を主語にする場合 が

従属節中の主語 が

不定詞を述語にする場合 は

〔接続助詞〕

山田は述格として用いられた語(主として用言)に付属し、これを、次にある句と接続させる用を成す助詞を接続助詞と名付け、文語の「ば」「と」「とも」「ど」「ども」「が」「に」「を」、口語の「ば」「ど」「ども」「ところが」「のに」「ものを」「も」「し」「と」「から」「けれど」「けれども」をこれに含めた。橋本は助詞の中で、接続して下に続き、用言にのみ附くものを「接続助詞」とし、口語の「ば」「と」「ても」「けれども」「のに」「が」「から」「ので」「し」「て」を含めた。

〔終助詞?間投助詞〕

「終助詞」は山田の命名で、述語に関係あるもので、文句の終末にのみ用いられるのを特徴とする。「間投助詞」も山田の命名で、語勢を添え、若

しくは感動を高める為に用いられるものである。「よ」「や」「ぞ」「ね」「がな」などを含めた。

橋本は助詞のうち、文又は文節の断止する所に用いるものを「断止辞」と呼び、それを二つに分って、文を終止するものを「終助詞」、文節の終に来るものを「間投助詞」とした。

時枝は、「感動を表はす助詞」として、山田の「終助詞」と「間投助詞」とを一括して一類とした。

「終助詞」の表わす意味は、感動?強調?希望である。

参考問題

1、助詞とは何か。どんな性質があるか。

2、助詞の分類を述べてみよ。

3、格助詞、副助詞と係助詞の相違について簡単に説明せよ。

第七節 文と文法史

山田は統覚作用によって統合せられた思想が言語という形で表されたものを「文」とし、統覚作用の一回の活動によって組織された思想の言語上の発表を一の「句」と名付け、「文」は一つ又は二つ以上の句よりなるものとした。

句を二大別して、「喚体の句」と「述体の句」とに分つ。文と句との関係については、

一の句にて成立する文??????単文;

二以上の句相集まりにて複雑なる思想をあらはし、言語の形に於いて拘束を有して一体となれる組織の文??????複文:複文の中には 風吹出で、雨はげし。

ーー→並列関係??重文

春は立ちしかども、風なほ寒し。

ーー→合同関係??合文

雁の空高く渡るも見ゆ。

ーー→主従関係??有属文の如き区別を立てる。

時枝はこの説を批判して、「文」と「句」との根本的な相違点が不明確であるとし、文は、統一され完結した思想の表現であり、「詞」と「辞」との結合に於いて表現されるとしている。

文は「詞」と「辞」との結合によって表現される。「詞」は言語主体即ち話し手に対立する客体界を表現し、「辞」は話手それ自体即ち言語主体の種々な立場を表現するのであって、話手の立場の表現というものは必ず或る客体的なものに対する話手の立場 の表現であり、客体界の表現には、必ず何等かの話手の立場の表現を伴って始めて具体的な思想の表現となるのである。かように、主体客体の表現が合体して始めて具体的な思想の表現となることが出来る。この関係は次のように図示される。

梅の花が咲いた 犬が走る (零記号)

橋本は「文」の外形的な特徴として、音の連続であり、多くは二つ以上の単音(又は音節)が結合してそれらが続けて発音されたものであり、その前と後とに必ず音の切れ目があり、その終には特殊の音調が加わるものとした。そして又、「文」を実際の言語として出来るだけ多く句切った最も短い一句切を「文節」と名付け、「文節」の構成から「語」を抽出し、品詞の分類を行った。又、一つの文の中で、或る文節が他の文節にかかって行く場合、意味の上で幾つかの文節を合せて一纏まりになって、文節の結合したものを「連文節」という。不意をくらった敵はあわてた。

参考問題

1、文と句とはどんな関係か。

2、学者による文と句の分類を述べてみよ。

3、入れ子型によって文の分析を完成せよ。

第五章 敬語

日本語において、敬語が著しく発達しているということは、広く認められている所であって、日本語の特質の一つとして数えられる事柄である。その構造はきわめて複雑であって、外国人は勿論、日本人でさえ正確に表現し得ないことが多い。

同一の話手が同一の対象を表現するのに、対象又は聞手に対して敬意を抱いている場合と抱いていない場合とでは、必ず異なった表現を取る。この場合、敬意を抱いている表現を「敬語」という。又、この際の敬意は、時によっては逆に侮蔑となることもあるが、それらを含めて「待遇表現」として総括することもある。

例:(甲)先生がお話になる。(乙)弟が話す。

(丙)桜が咲いています。(丁)桜が咲いている。

動作の取手、又は聞手に対する敬意を表現する相違がある。

例によって知られるように、

一、表現対象に対して話手が敬意を抱いた表現

二、話手の、聞手に対する敬意の表現の二つの別がある。

前のほうを「詞の敬語」、後のほうを「辞の敬語」という。

詞の敬語には、更に二つの種類がある。

イ、表現対象が単一である場合

ロ、表現対象の中に、二人の人物が含まれていて、その間に上下の関係が存在する場合

尊敬語、謙譲語、丁寧語に区別する

イは、「庭」に対する「御庭」、「話す」に対する「お話になる」、「言う」に対する「おっしゃる」の類である。又、代名詞の「あなた」「貴殿」「貴下」などもこの類であって、これは聞き手が表現対象として客体化された表現であることに注意しなければならない。

動詞?形容詞の場合は、「聞く」に対して「お聞きになる」「お聞きなさる」「聞かれる」「お美しい」のように接辞を附けて表現する場合と、「言う」に対して「おっしゃる」、「見る」に対して「御覧になる」のように別の単語で言い表す場合がある。

ロは、

太郎(乙)が先生(甲)に申上げる。

先生(甲)が太郎(乙)に本を下さる。

(甲)と(乙)とは共に表現対象の中に含まれているが、その間には待遇上の上下関係があり、 (乙)から(甲)に向っての上向きの動作については、「言う」の代わりに「申上げる」を用い、 (甲)から(乙)に向っての下向きの動作については、「与える」の代わりに「下さる」を用いるのである。

同じ内容でも、上向きか下向きか、又、それを発する側に立つか、受ける側に立つかによって敬語表現が異なる。例えば、同じ「与える」の意味であっても、上向きの場合は「上げる」「差上げる」であり、下向きの場合は、発する側に立つときは「下さる」、受ける側に立つときは「頂く」となる。 私(乙)が先生(甲)に申上げる。

先生(甲)が私(乙)に本を下さる。

この場合は、「私」は「話手」ではなく、最早客体化されて「表現対象」の中に移ってしまっているのであることを注意しなければならない。 敬語を使う場合「上下関係」とは、必ずしも社会的な階級や身分の上下を意味しない。話手の立場として、待遇上の上下関係が認定されることが必要なのであり、しかもそれだけで十分なのである。

「辞の敬語」は、話手の聞手に対する敬意の直接的な表現であって、口語では「ます」「です」「ございます」、文語では「侍り」「候」などが用いられる。

談話?文章では複合して用いられることがよくある。

御庭を御覧になります。(一イ+二)

太郎が先生に申上げます。(一ロ+二)

先生が校長先生に申上げなさるだろう。 (一ロ+一イ)

先生が校長先生に申し上げなさるでしょう。 (一ロ+一イ+二)

参考問題

1、敬語表現は幾つの種類に分類できるか。

2、詞の敬語と辞の敬語とは何か。

3、敬語の表現を究明すると、何を表明すると思うか。

第六章 文体

子音とは口腔又は咽頭で閉鎖又は狭めの起きる音の全部と、起きない音の中、鼻音、流音、半母音を含めたものをいう。

母音とは口腔又は咽頭で閉鎖又は狭めの起きない音の中、鼻音、流音、半母音を除いたものをいう。

例えば、 「頭」〔atama〕において、〔a〕〔ta〕〔ma〕は夫々音節であり、〔a〕〔t〕〔a〕〔m〕〔a〕は夫々単音である。

音声を表記するには、普通ローマ字で書き出される。それを〔〕符号で包んで表わす。

*子音の分類

一、調音の位置による分類

イ、両唇音――上下の唇で調音さ れる音。

ロ、歯茎音――舌先と上の歯茎とで調音される音。

ハ、歯茎口蓋音、硬口蓋音――主として前舌面と硬口蓋との間で調音される音。

ニ、軟口蓋音――後舌面と軟口蓋との間で調音される音。

ホ、声門音――声門で調音される音。

二、調音の仕方による分類

イ、閉鎖音(破裂音)――呼気に対して、調音器官が一時閉鎖される音。

ロ、摩擦音――呼気に対して、調音器官のどこかの部分が狭い狭めを作って、生ずる音。

ハ、破擦音――閉鎖音の直後に、それと調音点を同じくする摩擦音の続く音。

ニ、鼻音――呼気に対して、口腔の音声器官が閉鎖を行い、同時に口蓋帆が垂れ下って、鼻腔に呼気が流れ込み、鼻腔で共鳴を発する音。 口蓋化は

例えば〔?〕の場合、〔?〕〔tj〕又は〔?〕のような記号で表わす。

日本語では、キシチニヒミリの各頭子音、及びキャ?キュ?キョなどの所謂拗音の頭子音が口蓋化している。

母音無声化

東京語では、無声子音に挟まれた〔i〕〔?〕や( 「キカイ」の「キ」、「クサ」の「ク」の各子音など)、

文末の「デス」、「マス」の「ス」などに起こることがある。

〔i〕〔?〕など、狭い母音に起こり易い現象であるが、時に「ココロ」の前の「コ」、「ハハ」の前の「ハ」のように、起こることもある。無声化

は、音声記号の下に「?」を附して表わす。

参考問題

1、単音とは何か。音節とは何か。

2、子音と母音の分類を述べてみよ。

3、子音の口蓋化と母音の無声化を例を挙げて、説明せよ。

1、方言と標準語

〔方言〕

一つの国語の内部において、 音韻?文法又は語彙などの点で相違があり、しかも、それらの相違によって、いくつかの言語団に分かれる

とき、それぞれの分団を広義の「方言」という。

広義の「方言」は、更に「階級方言」と「地域方言」とに分けられる。「階級方言」とは、社会階級?職業などの相違に伴って生ずる日本

語の諸相をいい、

「地域方言」とは、地域によって相違する日本語の諸相をいう。この「地域方言」のことを狭義の「方言」ともいう。本広義では「方言」の語

を、この意味で使用することにする。

「方言」に対して全国共通に用いられている言語を「共通語」という。「共通語」は現実に用いられている言語であるが、この中には理想的な言語

としては好ましい要素も、好ましくない要素も合わせ含まれていることが普通である。かような要素を取捨選択して、理想的な状態に整えた言語を「標準語」という。

「方言」とは言語学的には一つの地域おける言語団全体を指すのであるが、その中には共通語と同じ要素もあり、また異なった要素もある。そ

の異なった要素は、音韻?文法?語彙などに見られるが、殊に語彙について「俚言」ということがある。「俚言」は共通語に存しない、方言特有の語彙の意である。世間一般に用いる語で、「東北弁」「大阪弁」のような「ー弁」という語は、言語学的な意味での「方言」に近い。しかし世間一般には「俚言」のことを「方言」ということも少なくない。また、「訛」という語も用いるが、これは方言の音韻上の特質を言うことが多い。又、これらの語は多く卑蔑をこめて用いられることが多い。

現実に行われているすべての日本語は、必ず何れかの「方言」に所属する。東京で行われている日本語は「東京方言」である。現在の「共通語」

は「東京方言」が基になっているものであるが、それと全く同じではない。「東京方言」には「俚言」「訛」が存在するのである。

〔方言発生の原因〕

「方言」が生ずる原因には種々あるが、各地域社会の特殊性と各地間の交通の疎隔がその最も主要なものである。

(一)高山?大河?森林?海などの自然地理的原因による場合

(二)封建制度などのように人為的に閉鎖的社会が作出された場合

(三)民族又は住民の移動による場合(四)大都会における諸方言の混用

〔方言の区画〕

本土方言と(東部方言?西部方言?九州方言)琉球方言の二分である。

〔方言周圏論〕

柳田国男氏が『蝸牛考』で唱えた学説で、方言分布の成因を説明する基本法則であり、文化の中心地で新しい語、表現が起ってそれが勢

力を得ると、それまでの形が追われて外側に押しやられる。そして、このような改新が度重なると、丁度石を投げた時に起る波紋のように、文化の中

心地を中心として古語使用圏の輪が生じ、遠い地ほど古い形を残し、又それが南北の二地方で共通の語形の存する場合が起ることを説いたものである。

「標準語」は、「共通語」を人工的に洗練して一定の規準で統制した所の、理想的な日本語であって、しかも規範として尊重され、外国に対して

日本語を代表し、一般教育?法令?裁判などの公用語として用いられるものである。日本語ではこの意味での「標準語」はまだ確立していない。俗に「標準語」というのは実は「共通語」である。

参考問題

1.方言?共通語?標準語とは何か。

2.日本での方言の区画を説明せよ。

3.日本で、方言について研究する学説を簡単に述べよ。

2、日本語の国語問題

言語の表現?理解の行為は、常に話手及び聞手の主体的意識の下に行われるのであり、その主体的意識は、常に他者への配慮、言語における美

醜?雅俗の弁別などの面に働いている。かような意識の下に、待遇表現(敬語)、文体の相違などが生ずるのである。

それらの意識の中で最も重大なものは、言語の正誤に関する意識である。その意識は、具体的には個人毎に保たれているものではあるが、

同時に、同一の言語社会の中で共通した正誤の規準が存在し、それが各成員の表現を拘束することが多い。そしてその社会が固定しており、変動の少ない場合には、言語の正誤の規準も安定して

不動であるけれども、その社会が不安定で動揺変化の激しい場合には、言語の正誤の規準も変動することが多い。

言語の正誤の規準が変動するということは、具体的には、その言語社会の中で、進歩的な意識を有する人々(多くは若い人々)と保守的意識を有する人々(多くは年とった人々)との間に、言語の正誤の規準が食違い、進歩的な人々が正しいと考える現象を保守的な人々が誤りと考え、又、進歩的な人々が誤りと考えることを保守的な人々が正しいと考えることである。

そのような対立が、社会的にさほど注意されず、又場合によっては無意識的に進行してしまうこともある。けれども、この対立が非常に激しくなり、その結果、正確な言語の伝達が阻害され、表現?理解の際に種々の抵抗が意識されることになり、それが社会問題を起こすまでに至ることがある。

日本語についてそのような現象が起ったとき、これを「国語問題」という。

日本語の「国語問題」は、日本語に関する正誤の規準が同一言語社会の中で対立し、それが社会問題となったものということができる。そして、それは、日本語の中の種々の面に現われるのであって、その主なものは、次の如くである。

一、標準語の制定、及び標準語と方言との関係

二、文章語と口頭語との関係

三、発音 四、敬語 五、文字

これらの内、「文字」は最も緊要なものであって、国語問題の中、これに関するものを「国字問題」と称する。国字問題は、これを次のような項目に分つことが出来る。

一、漢字廃止(仮名文字論?ローマ字論?新字論)

二、漢字制限 三、仮名遣い 四、送り仮名

この中、「仮名遣い」だけは原理的に少し異なるが、は互に密接な関連を有するものである。

「漢字廃止」

日本語を表記する文字として漢字を廃止しようとする論は、漢字が非能率的?非合理的であるとする立場に立っている。そして、それに代わるものとして、表音文字を採用しようとするのである。漢字が非能率?非合理的であるとする根拠は、大体次の如くである。

一、漢字は文字の数が多く、しかも一つの文字に多くの読み方があって、それを記憶するための学習上の負担が過大である。

二、現実の社会において、漢字を正確に表記し読解するのが困難である。

三、タイプライター印字?印刷などにおいて、きわめて不便である。

四、漢字を用いているのは、日本と中国?朝鮮ぐらいのもので、国際性に乏しい。

漢字に代るものとして、片仮名?平仮名?ローマ字、およびそれらの何れでもない新しい文字を考える論がある。これらは文字の数が少なく(何れも表音文字)、学習の負担も少なく、読書きが容易であり、タイプライター?印刷などが簡単であるなどの長所があって、その漢字の欠点の多くを補うと考えられるのである。

しかし一方、漢字の廃止に反対する立場がある。その根拠は、

一、漢字の字数が多いといっても、日常に用いるものには限りがあり、適当な方策を講ずれば、学習や読書きも必ずしも困難ではない。二、漢字を廃止すれば、印刷などに要する紙面が増加する。又書き写しの手数も、必ずしも漢字の方が大きいとは限らず、時には漢字の方が少なくて済むこともある。 三、漢字によって培われて来た日本古来の国語文化の伝統が隔絶して、民族の遺産を将来に伝えることが出来なくなる。四、表音文字だけにすると、従来不必要であった「分ち書き」を必要とするようになる。五、従来視覚に訴えて直ちに理解出来た語が、表音文字では意味が分からなくなるものが多く、語の言替えをする必要が生じてくる。六、「国鉄」「協組」など、漢字を組み合わせて作る新語が作りにくくなる。

「漢字制限」

「漢字廃止」までに至らないものに「漢字制限」がある。漢字を一定の数に制限しようとするものであって、制限すること自体を目的とするものと、全廃するための過度的な施策とするものとがある。

「漢字制限」には、漢字の種類を制限するものと、漢字のよみ方を制限するものとがある。字数については「当用漢字」千八百五十字、よみ方については「当用漢字音訓表」が主となっていた。更に「当用漢字」の内、特に初等教育用のものとして所謂「教育漢字」八百八十一字があった。現行の「常用漢字」は、制限的な色合いを和らげて表記の

「目安」と謳っているが、千九百四十五字を表示している。又人名にだけ許される「人名用漢字」百六十六字がある。漢字を制限すると、漢字で書くことのできない語彙が生ずる。

①仮名で書く……挨拶→あいさつ 憂鬱→ゆううつ

②同音の別の漢字で書き換える……交叉→交差 刺戟→刺激 活溌→活発

③別の語を新しく作って言替える……剽窃→盗作 輿論→世論

④その語と類似の語に置き換える……凋落→衰微 治癒→全快 諫言→忠告

漢字制限に対しては、反対論がある。

①「常用漢字」のように一定の字だけを使用して、それ以外の漢字の使用を認めないことは、表現の自由を保障した憲法に違反する。②「常用漢字」

は固有名詞を除外してあるが、実際の社会生活で固有詞を除外することは出来ない。「大阪」「奈良」「札幌」などのような重要な地名が、常用漢字に無いのは実状に即していない。③「」以外の漢字を初等教育で教えないので一時代前の文献読むことが出来なくなり、文化の伝承が隔絶する。

参考問題

一、日本語の国語問題とは何か。

二、漢字廃止論と漢字制限論のそのわけを簡単に述べよ。

三、日本語について、難点を述べてみよ。

3、日本語の系統

〔言語の系統〕

世界には多くの種類の言語があるが、それらの中、二つ以上の言語が共に同じ祖から分かれて出来たとする場合、その同じ祖たる言語を「祖

語」といい、その諸言語の派生関係を系図にたとえて、その系図?系譜を言語の「系統」という。二つ以上の言語間に存する異同を求めて、その相互的位置を明かにする科学を「比較言語学」という。

同一の語源から派生した諸言語全体を、人間に喩えて「言語の家族(family of languages)」というが、慣用では、例えば「印欧語族」「セム

語族」のような大きなものを「語族」とよび、ロマンス諸語?ゲルマン諸語全体のような場合には「語派」と称している。

この意味での「語族」には、「インド?ヨーロッパ(印欧)語族」「ハム?セム語族」「アウストロネシア語族」「ウラル語族」「シナ?チベット

語族」などがあり、この他、所属未詳のもの、未確定の諸言語が多く存在する。

「印欧語族」にはヒンズー語?ペルシア語?ギリシア語?ラテン語?スペイン語?ポルトガル語?フランス語?イタリア語?ルーマニア語?

英語?ドイツ語?オランダ語?デンマーク語?スウェーデン語?ノルウェー語など多くの言語を含み、「ハム?セム語族」はアラビア語?エチオピア語などを含み、「シナ?チベット語」はシナ語?チベット語などを含む。

〔系統論の方法〕

二つの言語を比較して、それらが互に同じ系統に属することを証明する為には、その二つの言語に、音韻?文法?語彙などの部門におい

て、一致点または類似点が認められなければならない。但し、この一致点又は類似点が、現在は認められなくても、過去には認められたという場合はよいけれども、逆に、現在は一致するけれども過去には一致しないという場合は、両言語が同系統であるという証明としては不十分である。要は、過去に遡る程一致又は類似の点が大きくなることが立証されなければならない。

音韻の一致というのは、幾つかの単語に偶然的に認められるだけでは不十分でない。一つの言語のXという音素のすべてが、同じ条件の

下では、他の言語ではYという音素で現われるというような、対応的法則が認められなければならない。又、互に音素の正確が一致又は類似していることも証明されなければならない。

文法では、先ず語序の一致することが必要であるが、時には英語とシナ語のように、系統的には全く無関係であっても、語序の類似する

ことがある。従って、語序ばかりでなく、語尾変化や活用の有無、その性質、助辞類の用法などについても検討しなければならない。

語彙は、系統的には無関係な言語の間で直接に賃借されることが多い。日本語に借入れられた数多くのシナ語(漢語)?英語などはその好

い例である。英語の dictionary を「字引く書也」、英語のso を「左様」と解して、これら両国語を関係付けようとしたりすることはナンセンスである。又、感動詞には、言語の系統に無関係に諸言語の間に共通点が認められるし、或る種の否定語にもそのような傾向があるから、このような事情も考慮に入れた上で、両国語の間に多くの語彙の一致が認められなければならない。

前に挙げたような原理に基づいてた研究によって、インド?ヨーロッパ語族の諸言語などは同系であることが証明されて来た。しかし、この方

法だけでは、どうしても同系であるか否かが証明されない場合も少なくない。殊に、その言語の過去の形を記した文献が残存せず、ただ現在の形だけしか判明しない言語や、過去の文献が、あまり古くまで遡り得ない言語の場合などには、前のような方法論では、十分に系統を解明することが困難な場合が多い。日本語の系統の問題は、正にこの場合に該当している。

アメリカの言語学者 スウォデシュ (Morris Swadesh) は、言語の親族関係を確認するための一つの新しい方法として、「言語年代学」

(glottochronology) 或いは「語彙統計学」 (lexical statistics) と呼ばれるものを提唱した。これは、言語の基礎語彙が、一般にほぼ一定の速度で変化するとし、そのことから逆に、基礎語彙の統計的比較研究によって、同系語が祖語から分裂した年代の古さを推定しようとするものである。この方法

によれば、言語は1000年経過する間に、基礎語彙の中の約81%が残存し、残りの約19%が変形するという数値が認められているのである。

〔日本語の系統〕

日本語が他の言語とどのような関係にあり、又、どの語族に所属するものであるかは、明治以来多くの学者の研究して来た問題であって、

種々の多くの説が提出されたが、まだ確定的な結論を見るに至っておらず、又、将来の見通しについてもその解決は極めて困難であると言わざるを得ない。

研究で明かにされたことは、日本語の京都方言と琉球方言とが同系であり、もと同じ祖語から分出したと認められている。基礎語彙の類

似の点で、朝鮮語が最も類似し、次いで満蒙などのアルタイ諸言語?アイヌ語の順であることを明かにした。

朝鮮語との比較

(一)音韻

イ、古く共に母音調和を有していた。

ロ、日本語の子音には有気音?無気音の音韻的な対立が無いが、朝鮮語にはそれがある。

ハ、日本語は開音節語であるが、朝鮮語には閉音節語がある。

二、共に「r、l」で始る語がない。

(二)文法

イ、人称?性?数?格の変化を欠く。

ロ、前置詞がなく後置詞を用いる。

ハ、修飾語は非修飾語の前に、目的語は動詞の直前に来る。

二、助詞?接尾辞などの類似が多い。

(三)語彙

音韻の類似の見られるものもある。又、代名詞?人体関係の語の類似が多い。

参考問題

一、言語の系統と比較言語学とは何か。

二、系統論の研究方法は何か。

三、日本語の系統について究明したことを述べてみよ。

4、「は」と「が」の使い分け

〔係助詞の「は」〕

係助詞は山田の命名で、陳述をなす用言に関係ある語に付属して、その陳述に勢力を及すものと定義し、文語の「は」 「も」 「ぞ」「な

む」「こそ」「や」「か」 「な」、口語の「は」 「も」「こそ」「さへ」「でも」

「ほか」 「しか」を含めた。橋本は口語の「は」 「も」

「こそ」「さへ」「でも」「なりと」「しか」「ほか」を「係助詞」と名付けたが、これは種々の語に附いた用言に続く類を一括したものである。時枝は「副助詞」「並立助詞」と併せて、「限定を表はす助詞」とした。

「係助詞」は「格」とは無関係である。次に示すように主格にも連用修飾格にも目的格にも添うのである。

今日は日曜日だ。

今日は六時半に起きた。

象は鼻が長い。

私は水が飲みたい。

あの家は玄関が南向きだ。

この辞書は父に買ってもらった。

雨が降っているようだね。

これがニコンFEです。

山に登ることが好きだ。

「は」は対比を表さなくて、体言に接続する場合は主題を表現する。主題に付くのは、叙述部である。 所謂「題述文」。ピリオド越え機能を

持っている。「これはニコンFEです。 高級カメラです。フルオートー眼レフです。」

〔格助詞の「が」〕

「格助詞」は、事柄と事柄との間の関係(「格」)の認定を表現するものであって、多くは論理的思考である。原則として二つ以上重ねて

用いられることが無く(「の」と「と」に例外の用例がある)、「格助詞」と「副助詞」とが併用されるときには、互に前後することが出来、「係助詞」と併用されるときには、必ず「格助詞」の方が上に位する、などの性質を持っている。

「格助詞」は、事柄と事柄との間の関係(「格」)の認定を表現するものであって、多くは論理的思考である。原則として二つ以上重ねて用

いられることが無く(「の」と「と」に例外の用例がある)、「格助詞」と「副助詞」とが併用されるときには、互に前後することが出来、「係助詞」と併用されるときには、必ず「格助詞」の方が上に位する、などの性質を持っている。

前に挙げたような原理に基づいてた研究によって、インド?ヨーロッパ語族の諸言語などは同系であることが証明されて来た。しかし、この方

法だけでは、どうしても同系であるか否かが証明されない場合も少なくない。殊に、その言語の過去の形を記した文献が残存せず、ただ現在の形だけしか判明しない言語や、過去の文献が、あまり古くまで遡り得ない言語の場合などには、前のような方法論では、十分に系統を解明することが困難な場合が多い。日本語の系統の問題は、正にこの場合に該当している。

アメリカの言語学者 スウォデシュ (Morris Swadesh) は、言語の親族関係を確認するための一つの新しい方法として、「言語年代学」

(glottochronology) 或いは「語彙統計学」 (lexical statistics) と呼ばれるものを提唱した。これは、言語の基礎語彙が、一般にほぼ一定の速度で変化するとし、そのことから逆に、基礎語彙の統計的比較研究によって、同系語が祖語から分裂した年代の古さを推定しようとするものである。この方法

によれば、言語は1000年経過する間に、基礎語彙の中の約81%が残存し、残りの約19%が変形するという数値が認められているのである。

〔日本語の系統〕

日本語が他の言語とどのような関係にあり、又、どの語族に所属するものであるかは、明治以来多くの学者の研究して来た問題であって、種々の多くの説が提出されたが、まだ確定的な結論を見るに至っておらず、又、将来の見通しについてもその解決は極めて困難であると言わざるを得ない。

研究で明かにされたことは、日本語の京都方言と琉球方言とが同系であり、もと同じ祖語から分出したと認められている。基礎語彙の類似の点で、朝鮮語が最も類似し、次いで満蒙などのアルタイ諸言語?アイヌ語の順であることを明かにした。

朝鮮語との比較

(一)音韻

イ、古く共に母音調和を有していた。

ロ、日本語の子音には有気音?無気音の音韻的な対立が無いが、朝鮮語にはそれがある。

ハ、日本語は開音節語であるが、朝鮮語には閉音節語がある。

二、共にで始る語がない。

(二)文法

イ、人称?性?数?格の変化を欠く。

ロ、前置詞がなく後置詞を用いる。

ハ、修飾語は非修飾語の前に、目的語は動詞の直前に来る。

二、助詞?接尾辞などの類似が多い。

(三)語彙

音韻の類似の見られるものもある。又、代名詞?人体関係の語の類似が多い。

参考問題

一、言語の系統と比較言語学とは何か。

二、系統論の研究方法は何か。

三、日本語の系統について究明したことを述べてみよ。

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