どんな不幸せも死ぬよりまし
智 敏
最近、私は「グッドライフ」という日本のドラマを見ていました。息子から自分に向けられた愛に気づいた父親が、白血病と闘う息子を献身的に看病する、親子の哀しい運命を描く、無償の愛の物語だ。もちるんそれは人を感動させる、涙を抑えないドラマだ。私はドラマの中で、死は誰にでも平等に訪れて、生きたいという気持ちはみんな同じだというわけが分かるようになりました。 新聞記者の澤本大地は、家庭を省みず、常に仕事を優先していたが、ある日突然、妻?華織が家を出て行ってしまう。残された息子?羽雲の面倒を1人で見る事になる中で、息子が自分に向けられた無償の愛を知り、父子の絆を深めていくが、息子が白血病であるということが発覚する。そして羽雲の治療が開始され予断を許さぬ一進一退の治療が進む中、父子間の絆もより一層深まっていく。やがて、ようやく羽雲の治療にも光明が見え始めた頃、大地自身の身に本人も思いもよらなかったある事実が起きる。簡潔にあらすじを述べると、白血病の息子の治療費を用意するために手を尽くし、最後は自らの角膜を売った父親とその子供の物語だ。母親の子供に対する愛情を描いた話は世の中にたくさんありますが、父親の愛を表現したストーリーはあまりないので、なんだか不思議なものを感じました。父親と子供の距離は永遠の探り合い。その伝わらない「もどかしさ」、「切なさ」こそが父と子の物語そのものだと言えるだろう。父性とは、自然に備わるものではなく、子供のために奮闘することで獲得するしかないものだ。子供と一緒に過ごせる時間に限りがあると知った時、父親は子供に何をしてあげられるか。人によって違うだるう。しかしあらゆるの父親は子供のために全身全霊を傾けると信じている。
チャンミンが好きな言葉として答えた、「僕たちがいる今日は、昨日死んだ人々が望んだ明日だ。」。私は子供も産んでいないし、結婚もしていないので、このドラマが意味する「愛」というものが、はっきりとは理解できません。それでも見ているうちに、「生きたい」という気持ちと、「生きてほしい」という感情が、実感できると思ていました。いつの間にか、去年ガンセンターに足を踏み入れたときのことを思い出しまった。点滴をしながら歩いてくる入院患者さん。深くかぶる帽子。でも自分で歩けるのだから、この方たちの症状はまだ良いほうなんだなと、考えるだけでドキドキした。酸素マスクを外して苦しそうに話しかけてくるこのひとの体は、一体どうなっているのか不安でたまらなかった。まだ二十代だった私にとっては、きっと強烈な体験だったんだと思ていました。
このドラマは、父親の愛だけではなく、互いが互いの幸せを願う気持ちにあふれていた。「生きてほしい」と人から願ってもらえると、こんなに強くなれるものなのだろうか。愛する人の「生きたい」という願いを叶えるためなら、こんなにも人は自分を投げ出すことができるのだろうか。
二年前、東日本大地震についてのニュースを聞いて、私の心に深く印象残ったのは「生きたい」という気持ちと、「生きてほしい」という感情だ。日本人は苦にあっても苦を苦としない、災難を面して勇敢に戦っている姿を見て、深
い感動を受けました。正直言いますと、地震の前に、実は私たちは何でもないことではありますが、そこにこだわっても仕方ない。できることから頑張りましょう。なぜなら「僕たちがいる今日は、昨日死んだ人々が望んだ明日」だから。
シエークスピアの言葉に「悲嘆は最悪を覚悟することにより終極す」とあるのはそのことである。どんな不幸せな人でも死んだ人にくらればましである。
こういう体験があります。
もともと自分に及ばない友達は自分よりいい成績を取ったら、彼の進歩を喜ぶとともに、ちょっとねたむような気がします。
もう一つは授業の間に先生の質問に答えられない時、ほかの人に笑われるのを恐がって、イライラして、ぜんぜん授業を聞き取れません。
実は、こういう気持ちが悪いとはわからないわけではありません。しかし、わかってもなかなか抑えません。
それはどうしてでせか?『鼻』を読んだ後、原因がわかるようになりました。一つは、まさに芥川の述べたように、人間には矛盾した二つの感情があります。他人の不幸に同情する感情と、他人が不幸から抜け出すことを喜ばず、むしろもう一度不幸に突き落とすような敵意の感情。
もう一つは人間は自尊心を持つものです。それで、自尊心が強ければ強いほど、他人に気に留めるようになります。結局、人目に気にし過ぎて自分を失ってしまいました。
文章の主人公「禅智内供」はちょうど「自分を失う」人です。この主人公に対して、かわいいとも思えば、かわいそうも思います。内供としては、世間の出来事から超然としているべきですが、おかしい鼻のせいで肉体と精神の二重な苦痛に耐えざるをえません。やっと鼻を短くして肉体的な苦痛から脱しましたが、かえって他人の敵意を含んでいる笑いを引き起こしてしまいました。このどうしてもできない他人の感情に、ふさぎこんだ内供は、日ごとに機嫌が悪くなりました。他人の笑いに耐えらなくて、内供は意外なことに、鼻がもとのどうりに長くなるように願いました。鼻は最後希望どうりに長くなりました。内供は「晴れ晴れとした気持ちになり、もとにもどればもう誰も笑うものはないに違いない、と心の中で自分にささやいた」。しかし、長くなる鼻は本当にだれも笑わないものになれますか?私はそう思いません。他人の利己性が失わないさえすれば、そして、内供は人目に気にしすぎることを変わらないさえすれば、鼻が短くても長くても、内供の苦痛には終わりがないと信じています。つまり、内提供はいかに我慢しても、ただ他人を利己の気持ちに満足させるだけだと思います。同情を得ることができても、本当に解脱ができません!
内供のような人は人間の弱さを表しますが、文章にあるほかの人物、例えば,内供の弟子や下法師など、「傍観者」として出てくる人は何を表しますか?この「傍観者」は自分の楽しさを内供の苦痛の上に建てます。彼らからこそ、内供は無尽な苦痛に陥るんです。長い鼻に同情する感情とか、短くなる鼻に情けない笑いとかから、彼らの持っている人間の虚偽と利己という本性がすべて表します。私はこういう本性をひどく憎んでいます。しかし、自問して、私はまさかこの悪い本性を持っている人間ではあるまいですか?自分よりいい成績を取る人をほめるとともにねたむ気持ちを抱いているというのは例の一でしょう。
私だけではなく、すべての人間は弱さと虚偽、利己という本性を持っています。これを見抜く作者の芥川さんに感心してたまりません。
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