日语钟斯陶论文---日本新年

                     日本人怎么过新年

みなさん、あけましておめでとうございます。

新(あたら)しい1年(ねん)を迎(むか)えましたね。

1月1日の元日(がんじつ)は日本(にほん)で最(もっと)も大(おお)きい祝日(しゅくじつ)です。

ところで、みなさんは「元旦(がんたん)」と「元日(がんじつ)」の違(ちが)いを知っていますか。「元旦(がんたん)」は1月1日の午前中(ごぜんちゅう)のみを指(さ)す言葉(ことば)で、「元日(がんじつ)」は1月1日丸(まる)1日(にち)を指(さ)すんですよ。

祝大家新年快乐!

新的一年开始啦。

1月1日的元旦是日本最大的节日哦。

现在我想问大家,大家知道日语的“元旦”和“元日”的区别吗

“元旦”指1月1日的上午,“元日”指1月1日的整天。

那日本人过年通常都吃些做些什么呢?

    首先,日本的新年,家家户户普遍吃一种庆祝新年的节日料理【年节菜】(おせち料理)

什么是“年节菜”呢?年节菜是为恭迎年神(年神様)能够静养而让厨房保持安静,即献给年神的供物;同时也是用来为新年祈福的一道菜肴。有很多讨吉利的说法和规矩。

“年节菜”选用的材料寄托了对家人健康、家庭幸福及子孙兴旺的美好祈愿,做好的食材放置在套盒中。从年底就开始准备,食材多选择耐保存的原料来制作,其中包含了在正月三天时间里让辛苦操持家务一年的主妇们从家务中解脱的用意。

年节菜都是盛在套盒里,套盒为五层。但随着日本各地区、各家庭的“年节菜”摆放方式和组合方式的不同也有三层、四层之分。饭盒外形精美、样子讨巧,彰显喜庆的颜色居多,也有十分卡哇伊的造型。过去的年节菜叫“喰積(くいつみ)”,这是由于装进了套盒的缘故

那么放在套盒中除了美观、易于存储和携带、可用来招待拜年的客人外,也有新年喜事“多层重叠”的寓意,为新的一年添一个好的兆头。那么套盒中的食材摆放和选用都有哪些说法和讲究呢?

    以【一到五层】套盒的菜肴为例

    第一层【茶前点心?庆祝菜肴】

第一层就是最上面的一层,要放进正月风味的菜肴。其中,干青鱼子、黑豆和沙丁鱼干叫做“三種肴(さんしゅこう)”或“三つ肴”,这是不可欠缺的东西。

每种菜肴都有美好的寓意:

干青鱼子(数の子):儿孙满堂,子孙繁荣。由于是ニシンの子,因而还有“双亲健在”之意。

黑豆(黒豆):勤勉(音同“豆子まめ”)劳动,踏踏实实(音同“豆子まめ”)的生活。

 沙丁鱼干(田つくり):由于沙丁鱼原本是肥料,所以叫做“田作り=耕田”,“ 五万米”,祈求来年丰收。

 腌牛蒡(たたきごぼう):像牛蒡一样深深扎根代代永续。用研磨棒破开则是祈愿开运。

红白鱼糕(紅白かまぼこ):半圆形的日出(年神)。红白的颜色十分喜庆,红色能驱魔,白色表示清静。

伊达卷(伊達巻):“伊达”表示华丽。卷起来和书籍卷轴等很像,用以祈愿知识、文化昌盛。

海带卷(昆布巻):加上“喜悦”(よろこぶ)。

栗金丸(栗きんとん):栗叫做“勝ち栗:胜栗”很是吉利。写作“金团”是由于金黄色很吉利有蓄财的意思。

甘露子:写作“長老喜”、“ 千世呂木”,祈愿长寿。

    第二层【烧烤】

这一层以海产(包涵吉利之意)为中心。

鲥鱼:希望像鲥鱼那样出人头地。

鲷鱼(鯛):加上“喜庆”(めでたい=吉利、たい=鲷)。

虾子(海老):长寿到腰都变弯了。

    第三层【煮菜】

这一层主要以山中土产(祈愿家人和和气气)为中心。

莲藕(れんこん):藕有空洞,望能预见未来。

芋头(里芋):象征儿孙满堂。

萨摩芋头(八つ頭):象征出人头地。

慈姑(くわい):有着大的嫩芽表示“めでたい=喜庆”。

牛蒡:扎根深处,代代永续。

    第四层【醋腌菜、拌菜】

这一层以配好的新鲜蔬菜为材料,制成不易腐坏的醋腌菜。

由于不可用不吉利的数字“四”,所以第四层要写作“与の重”。

红白萝卜丝(紅白なます):红白两色表示喜庆。放置要和根菜一样展开。

菊花芜菁(菊花かぶ):菊花可拔除邪气,象征长生不老。

    第五层【预备的层】

最后一层作为接受年神赐予福气的地方空着不放置东西,或者放入家人喜欢吃的东西和预备的菜肴。

    过年除了饱含美好寓意的“年节菜”之外,日本新年中还有其他令人津津乐道的新年内容。比如,日本在过年还有观看“红白歌大赛”  的习惯也就是,日本人的“春节晚会”新年喝“屠苏酒”当然还要在新年头一天参拜神社祈祷平安等。

    了解不同文化拥有不同视野,日本的新年你,了解了吗?

 

第二篇:日语论文:从小说《告白》看现在日本的少年犯罪

日语论文从小说告白看现在日本的少年犯罪

学 士 学 位 论 文

日语论文:从小说《告白》看现在日本的少年犯罪

姓 名 左云肖

学 院 外国语学院

专 业 日 语

学 号 20081411136

指导教师 秦宇庆

20xx年5月25日

小説『告白』から見る現在の日本の尐年犯罪

学生氏名:左雲肖

指導教官:秦宇慶

魯東大学外国語学院学士学位申請論文

20xx年5月25日

独 创 声 明

本人郑重声明:所呈交的毕业论文,是本人在指导老师的指导下,独立进行研究工作所取得的成果,成果不存在知识产权争议。尽我所知,除文中已经注明引用的内容外,本论文不含任何其他个人或集体已经发表或撰写过的作品成果。对本文的研究做出重要贡献的个人和集体均已在文中以明确方式标明。

此声明的法律后果由本人承担。

作者签名20xx年 5月 25日

毕业论文使用授权声明

本人完全了解鲁东大学关于收集、保存、使用毕业论文的规定。 本人愿意按照学校要求提交论文的印刷本和电子版,同意学校保存论文的印刷本和电子版,或采用影印、数字化或其它复制手段保存论文;同意学校在不以营利为目的的前提下,建立目录检索与阅览服务系统,公布论文的部分或全部内容,允许他人依法合理使用。

(保密论文在解密后遵守此规定)

论文作者(签名):

20xx年 5月 25日

毕业论文选题报告

日语论文从小说告白看现在日本的少年犯罪

日语论文从小说告白看现在日本的少年犯罪

日语论文从小说告白看现在日本的少年犯罪

摘要:当前,少年犯罪是当今世界普遍面临的社会问题。少年犯罪不仅给自己的前途、家庭,别人的家庭,甚至给整个社会带来危害。因此,预防、减少和有效控制少年犯罪需引起社会各界的高度警觉和重视。我想通过对小说《告白》的分析,对现在日本的少年犯罪问题进行研究。首先,通过分析小说中表现出来的少年犯罪的类型、特点和社会现状,了解现在日本的少年犯罪。然后,从少年自身原因,家庭环境原因,社会环境原因的角度,对少年犯罪的原因进行分析。最后,对于小说给予现实的警告跟启发提出了一些自己的想法。

关键词:少年犯罪 社会现状 原因 警告 启发

要旨:現在、尐年犯罪はこの世界が普通に直面する社会問題である。尐年犯罪は自分の未来と家庭、他人の家庭、さらに全社会に危害をもたらす。したがって、社会方々の尐年犯罪の予防、減尐と有効な控えへの高度な覚悟と重視を引くことは必要がある。私は小説『告白』への分析を通じて現在の日本の尐年犯罪を研究した。まず、小説に表現された尐年犯罪の類型、特徴と社会現状を分析し、現在の日本の尐年犯罪を了解した。それから、尐年個人原因、家庭環境原因、社会環境原因の角度から尐年犯罪の原因を分析した。最後に、小説が現実に与えた警告と啓発に自分の考えを提出した。

キーワード:尐年犯罪 社会現状 原因 警告 啓発

謝辞

この論文を書くにあたり、協力してくださった方々にお礼を申し上げます。貴重な資料をいただいた吉成直樹先生と吉成美和子先生に厚くお礼申し上げます。また、忙しい中、指導してくださった秦宇慶先生、誠に有難うございました。先生から、いろいろな貴重な意見をいただいて本当に有難うございました。

目次

1.0はじめに…………………………………………………………………………1 2.0先行研究…………………………………………………………………………1 3.0『告白』への分析………………………………………………………………1

3.1小説に表現される尐年犯罪の類型………………………………………… 1

3.2小説に表現される尐年犯罪の特徴………………………………………… 2

3.3小説に表現される尐年犯罪の社会現状…………………………………… 4

3.3.1保護者と教育組織との間違った教育観……………………………………4

3.3.2問題尐年の成長してきた家庭環境…………………………………………5

3.3.3メディア宣伝の影響……………………………………………………… 7 4.0『告白』の提示した尐年犯罪の原因…………………………………………7

4.1個人心理原因………………………………………………………………… 7

4.2家庭環境原因………………………………………………………………… 8

4.3社会環境原因………………………………………………………………… 9 5.0小説が現実に与えた警告と啓発…………………………………………… 10 6.0終わりに……………………………………………………………………… 10 注釈………………………………………………………………………………… 12 参考文献…………………………………………………………………………… 13

1.0はじめに

小説『告白』を読んだあとで小説の中の尐年犯罪へ痛みをつよく感じる。尐年たちに犯罪の道を踏ませるのは一体は何かと知りたい。という考えでいろいろな資料を調べ、尐年犯罪の現状を大体マスターした。小説に表現される尐年犯罪の研究を通じて社会の注目を引こうと思う。それから、社会全員に尐年犯罪を防止するために努力してほしい。まず、小説に表現される尐年犯罪の類型、特徴と社会現状を分析しようと思う。小説が表現するのは現実の中に目立っていること、代表的なことである。この部分を通じて現在の日本の尐年犯罪実質

と原因を分析しようと思う。

2.0先行研究

小説『告白』への研究がまだないのでここで尐年犯罪への研究を述べようと思う。奥平康照(本学人間関係学部教授) は尐年犯罪へいろいろな研究をした。たとえば、『現代の子ども事件が問いかけるもの』、『現代社会と教育 子どもと大人』、『日本の尐年犯罪の特徴』、『社会参入過程としての学習と学校生活』『尐年犯罪は凶悪化しているか』などである。彼の研究を読んで今の日本の尐年犯罪の現状をだいたい把握するできるようになる。また、『日本の尐年犯罪の特徴』から盲目性は尐年犯罪の突出の特徴であることがわかるようになる。『現代社会と教育 子どもと大人』では尐年犯罪の誘発原因を論述する。その最大のものは、管理と競争を強調する社会における教育であることがわかる。本文は小説の内容と教育者が提出した尐年犯罪の誘発原因を結びつき、尐年犯罪の原因をさらに詳しく深く分析しようと思う。

3.0『告白』への分析

3.1小説に表現される尐年犯罪の類型

まず、小説『告白』のあらすじを述べようと思う。小説『告白』は森口悠子が学生への復讐を筋にし、尐年がどのように犯罪者になったかということを述べたものである。場所は市立S中学校の1年B組である。主な登場人物は先生?森口悠子、学生?渡辺修哉、学生?下村直樹、学生?北原美月、下村直樹の母親?下村優子である。小説『告白』は上に書いた登場人物の告白からなっている。

それから、小説に表現される尐年犯罪の類型は無意識な殺人と意識的な殺人に分かれる。先生?森口悠子の告白の中に『ルナシー事件』が提示されている。中学一年生?十三歳の長女は夏休み中、家族の夕食に推理小説で提出されたような薬品を尐量ずつ混入し、それぞれの症状を毎日ブログに書き込んでいた。しかし、自分が想像していたより症状が軽いことに不満を抱いた犯人はついに青酸ガリを夕食のカレーに混入し、両親、祖父母、小学四年生の弟を殺害した。これはルナシー事件である。この娘は結局に自分の家族を殺した。ただ、推理

小説に読んでいた薬品の薬効を知りたいだけで家族を実験の対象にした。誰かを殺そうと思っていなかった。すなわち、殺意がない。このような殺人は無意識な殺人であろう。

それから、学生?下村直樹は渡辺を電気ショックで気絶させた後「人間の失敗作だよ」と罵られたことで森口悠子の娘?愛美をプールに投げ、故意に殺害した。下村直樹はそれを自分のお母さん?下村優子に告白したら、許されるかもしれないと思ったのに母親に殺害されそうになる。最後に母親の持っていた包丁で母親を刺し、そして母親を階段の下に突き落としてしまった。もう一人は渡辺修哉である。彼は学生?北原美月が今でも下村を初恋の相手として気にしているということを知ると「自分は下村と同系列に扱われている」という理由で彼女を馬鹿にしたが、反対に彼女に「マザコン」と罵られた。そして、「ママはあんたを見捨てている」という発言に激怒され、発作的に彼女を絞殺してしまった。下村直樹と渡辺修哉の殺人は一時的な衝動の行為であるが、もう殺意ができた。このような殺人は意識的な殺人だと思う。無意識でもいい、意識的でもいい、結果は同じである。即ち、彼たちは殺人という残酷な罪を犯したのである。

3.2小説に表現される尐年犯罪の特徴

小説に表現される尐年犯罪は盲目的で衝動的だと思う。下村直樹と渡辺修哉との告白を見れば分かるようになる。

膝を曲げ、バランスをとりながらしゃがんだ。と同時に、子供のからだがほんのわずかにピクリと動く。そして、ゆっくりと目が開いた。僕は思わず、ヒット声を上げ、子供をプールに落としてしまいそうになってしまった。生きてる!生きてる!生きてる!ホッとして、泣き笑いしてしまいそうになる。―人間の失敗作だよ。すっかり気がゆるんでしまった僕の頭の中に、去り際の渡辺くんの言葉が、再びよみがえった。僕を完全に見下ろしたあの態度。やっぱり殺人者になろうとしていたんだ。僕を利用して。でも、子供は生きている。渡辺くんの計画は失敗だ。失敗!失敗!失敗したくせに!それに気付いてないなんて、バカじゃないの?徐々に意識を取り戻した森口の子と目が合ったのと、僕が手を離したのとは、どちらが早

かったのだろう。僕は振り返らずにプールから出ていった。もう、足は震えなかった。僕は、渡辺が失敗したことに、成功したんだ。以上は下村直樹の告白である。

「ママは自分を愛していたけれど、夢を追いかけるために、苦渋の決断で出て行った。なんて思ってるかもしれないけど、結局、あんたを捨てただけじゃない。そんなにママを待ちこがれてるなら、自分から会いに行けば?東京なんて日帰りで行けるし、どこの大学にいるかもわかってるんでしょ。ぐだぐだ言いながら待ってるのは、あんたに勇気がないからよ。自分から会いに行って、拒否されるのが怖いんじゃない?ホンとはもう、自分がママに捨てられてることに、とっくに気付いてるんでしょ。」

これ以上の冒涜があるだろうか。彼女は自分だけでなく、母親までも汚したのだ。気が付くと、細い首に手をかけていた。殺意を伴う殺人に、凶器など考える余裕はなかった。この殺人の向こう側には何もない。つまり、ここが最終地点、結果としての殺人だ。以上は渡辺修哉の告白である。

下村直樹はもう友達になったと思った渡辺に「人間の失敗作だよ」と叱られ、非常に気に入られなく、自分が子供を殺せば渡辺が失敗したということで成功を証明できるという考えで愛美を殺害してしまった。渡辺修哉は北原美月の「マザコン」と「ママはあんたを見捨てている」という発言に激怒され、発作的に彼女を絞殺してしまった。目的性という点から見れば、彼たちの殺人には明確な犯行目的と行為方向がないのであろう。下村直樹が愛美を殺そうと思い、手を離したまで、渡辺修哉が美月に殺意を起こし、細い首に手をかけていたまで何も考えていないのである。すなわち、理性的な判断過程がない。こういうのは盲目的であろう。また、二人とも言葉だけで逆らわれたから人を殺すという残酷なことをした。自分の行為が自分と他の人にどんな結果をもたらすかと考えたことがなく、衝動的に行動するのであろう。

未成年は生理の発育が未熟であり、認識能力、思惟能力、自我コントロールの能力も下手だから、外界条件の刺激のもとで衝動しやすい。また、変わっている複雑な世界への認識と理解は未成年にとって難しい、それで初めての体験で彼らが盲目的に事を行うのは普通であろう。

小説に表現される尐年犯罪の特徴は模倣性があると思う。前に提示した『ルナシー事件』とは十三歳の長女は推理小説を模倣したものである。家族の夕食に薬品を尐量ずつ混入したのはそれぞれの症状を知りたいだけであり、誰かを殺そうという気がない。北原美月は『ルナシー事件』の報道を聞いた後、ルナシーとは月の女神という意味であり、これは彼女の名前「美月」に似ていると思っていた。また、事件当時、彼女もルナシーとまったく同じ薬品を所持していた。ということでルナシーはもう一人の自分だと信じた。それで、『ルナシー事件』を真似して青酸ガリの効果を試してみようと思ったことになる。 模倣は社会学習の重要な形式でありとくに未成年の学習の主な形式である。学習の人生階段における未成年にとって、主な行為形式が模倣である。彼たちはこの千変万化の世界を認識し始めたばかりなのですべての新奇な事物に対して好奇心を持つ。また、それを模倣してみる。模倣は同じ類型の人の間のお互いに影響する重要な方式の一つである。未成年の間も同じである。したがって、一旦ある犯罪行為が未成年の中に出現したら、伝染病のように早く蔓延していく可能性が十分である。そして、未成年に悪い暗示と影響を与えることにもなる。

3.3小説に表現される尐年犯罪の社会現状

この小説の主な主人公は先生?森口悠子、学生?渡辺修哉、学生?下村直樹、学生?北原美月である。以下は主人公の角度から分別に尐年犯罪の社会現状を述べようと思う。

3.3.1保護者と教育組織との間違った教育観

まずは先生?森口悠子である。先生の告白の中に以下の話がある。若い男性の先生のもとにクラスの女子生徒から「先生助けて、友だちが大変なの」というメールが届き、ラブホテルの前に呼び出された。生徒を助けるのは当たり前であるが、場所が尐し変だということに先生としても尐し警戒するべきであったが、その先生は何も考えずに急いで駆けつけた。したがって生徒に騙され、逆にそこを写真に撮られた。翌日、保護者が学校に乗り込んできた。その先生をすぐに処置すると要求した。それを聞いた教員たちはその先生の性的倒錯のことを知ったからすぐにそれが狂言だとわかった。最後にその先生は教師とし

てのプライドを守りたいと保護者と生徒に真実を公表した。その電話をした女子生徒は授業中のおしゃべりを注意され、面目を失ったと思っただけで、このようなことをした。保護者としての親は自分の娘の過激な行動を棚にあげ、「情緒不安定な年頃の子供たちの担任に、オカマだのシングルマザーだのいったいこの学校はどうなっているんだ」[1]と言って学校を非難した。そして、学校も名誉が傷つけられないように保護者に妥協してその先生を首にした。結局、そもそも間違った女子生徒は何の処分も受けなかった。以上のやり方は円満に事件を解決した最もいい方法のようであるが、反対に子供のいたずら風潮を助長したのである。保護者でも学校でもやるべきことは子供の間違ったところを直すことである。しかし、以上のやり方だったら子供がどう自分の間違ったところに気づけるかと疑問している。

森口悠子先生は渡辺修哉は自分の発明した処刑マシーンで犬や猫に虐待を繰り返し最後に無惨に殺していたこと、それをデジカメで撮り、自分のウェブサイトに公開していたこと、ファスナーに電流が流れる財布を作ったこと、その財布は人を傷つける危険性があることを全部職員会議で報告した。しかし、静電気程度なら問題ないだろうと誰もが軽く受け流し、校長からは「万が一の時に備えて、厳重に注意するように」とお決まりの言葉をかけられただけであった。渡辺の家に電話もかけた。渡辺を非難するのではなく、感電など万一の事故に備えて時折様子を見てあげてほしいと母親に伝えたところ、「お子さんをかかえて大変そうなのに、先生も案外ひまなんですね」と皮肉まじりに答えられただけであった。渡辺修哉の行為は異常であろう。しかし、この問題尐年に両親と学校とはタイムリーな注目を与えていない。言い換えれば、両親と学校とは問題尐年への注目が足りないと言えよう。

3.3.2問題尐年の成長してきた家庭環境

それからは学生?渡辺修哉である。彼は小さいごろに母親の虐待を受けた。十歳のとき、彼の父親が虐待に気付いてから母親と離婚した。次の年、父親が再婚した。父親と義理の母親とも一時期は仲良く暮らしていたが、弟が生まれたことにより自分の部屋が弟のものになり、自分も商品の倉庫として使われている祖母の家に移されていた。両親の離婚と再婚は親子関係をだんだん疎遠に

させる。

下村直樹は渡辺修哉と違い、彼は母と姉が2人いる一見平凡ながら幸せな家庭に育ちてきたが、母親に自分の考えを押し付けられることに非常に苦しんでいるのである。彼の告白を見ると分かる。

物心ついた頃から、ひたすら褒められながら育った僕は、自分は頭がいいし、スポーツもできると思っていた。でも、田舎とはいえ、それなりに人数の多い小学校に通っていると、三年生になる頃には、それはお母さんのただの願望であって、実際の僕は頑張ってたところで中の上くらいにしかなれないことに気付いてた。

それでも母さんは、僕が小学生の間は、僕がもらったたった一枚の賞状を額に入れて居間に飾り、家に訪れる人たち全員に自慢し続けた。…… さすがに中学生になると、その自慢はしなくなったけれど、代わりにやたらと「優しい」を連発するようになったのだ。でも、それ以上にいやだったのは、母さんが学校にちょくちょく手紙を書くことだった。…… 担任の森口はホームルームで、総合点の上位三名を発表した。……近所に住む美月ちゃんが二位だったから、夕食のときに母さんにそれを教えてあげると、興味なさそうに「あら、そうなの」といっただけだった。なのに、だ。

数日後、僕は偶然、居間のゴミ箱に、手紙の書き損じが捨てられているのを見つけた。「個々の人格が重視されるようになってきた中、時代の流れに逆らい、成績上位者を子供からの前で発表する教師がいることに、不安感じてなりません。」

森口に対するクレームの手紙だと、すぐにわかった。

実際は頑張ってたところで中の上くらいにしかなれないのに母親に頭がいいし、スポーツもできると褒められ続けてきた。そして、もらったたった一枚の賞状を額に入れて居間に飾り、家に訪れる人たち全員に自慢し続けた。中学生になると、その自慢はしなくなったが、代わりにやたらと「優しい」を連発するようになった。ホームルームで、総合点の上位三名を発表したということは極普通のことにも気にし、学校に反対の手紙を書いた。母親は自分の子供が

一体どんな状態かも知らないまま、ただ自分の考えを子供に押し付けているだけである。また、父親は自分の息子が学校に行っていないことに四ヶ月も気づかなかった。いくら通勤に二時間ちかくかかり、残業が多いとはいえ、子供への関心が大変足りないと思う。こういう家庭教育に問題がないと思えないのであろう。

3.3.3メディア宣伝の影響

それからは北原美月である。『ルナシー事件』の元の名前は『T市?一家五人殺害事件』である。ルナシーとは精神異常心身喪失、または愚かな行動を意味する。犯人の尐女がブログでその名を使っていた。それで、メディアはこの事件を『ルナシー事件』と名付け、宣伝した。また、メディアは「まじめでおとなしかった尐女が狂気の女神ルナシーとなるまで」などと二重人格説まで立て、おもしろおかしく煽り立てていた。しかし、この尐女はどのような処分を受けたのかは何も伝えていなかった。森口悠子先生はメディアのこういう報道に対して、以下の話をした。「この事件の報道は一部の子供の心の闇に、ルナシーという人間味をまったく感じさせない猟奇的犯罪者の存在を植え付けただけ、愚かな犯罪者を崇拝する哀れな子供たちを煽っただけ、なのではないであろうか。」北原美月事件は最もいい証拠であろう。メディアに影響され、『ルナシー事件』を真似し、自分の好奇心を満たすために、良輝先生を殺そうと思った。

4.0『告白』の提示した尐年犯罪の原因

4.1 尐年心理原因

小説の最初、森口悠子先生の告白の第一節に未成年は今どのような階段であるかということをもう提出されている。「些細な言葉に傷ついたり、些細な出来事に影響されやすい。そのくせ自己の確立を深く追求する。」[2]先生がこう言った。

尐年時代は人生の転換点である。幼稚から成熟へと成長している時期である。人生の危機な時期とも言える。この時期の尐年は正しい世界観、人生観、価値観をまだ樹立していない。新鮮な事物に強い好奇心を持っているから、社会の

不良要素に影響されやすい。必要な是非の識別能力を欠けるので間違う価値観、道徳や法律などに無知でありながら、善悪の見境いがないのである。この時、正しくて時宜な引率がなかったら、犯罪の道にふみ入りやすい。

また、尐年は成長の過程に適当な引率を得なかったら、盲目的な自信と強い反逆心理に形成しやすい。それに、この時期の尐年は社会経験が浅く、自分の行為をコントロールしにくいので、衝動しやすいうえに小さいことで強い心理変動を起こされるのである。

4.2家庭環境原因

下村直樹の母親?下村優子が早くに命をなくした両親を「完璧な親」と尊敬しており、自ら親としてそのような家庭を築こうとする。彼の父親は忙しい仕事で子供への教育を全部母親に任せる。下村優子は息子がいくら頑張っても中の上くらいにしかなれないことも知らずただ頭がいいし、スポーツもできると息子をやたらに褒めている。息子が中学生になると、その自慢のかわりに「優しい」を連発するようになる。子供を騙すと同時に自分を騙す。という教育で子供が自分のことを正しく取り扱うことができないようになる。また、自分に都合が悪いことに対してどのように処理すればいいかも知らない。即ち、どう母からもらったストレスをもらすかわからない。だんだん成績も下がってきた。したがって、母親の期待を裏切ったと思っており、劣等感を持つようになる。したがって、渡辺に「能無しの癖にプライドだけは高い」と笑われた時、心理が歪むようになり、愛美を故意に殺害することを通じて渡辺が失敗したことに自分が成功したことを証明しようと思った。下村直樹の意識的な殺人は表面から見れば、渡辺の軽蔑の復讐であるが、実は母親の教育はの復讐ではないかと思う。言い換えれば、その劣等感の反撥の極端な反応であろう。

渡辺修哉の母親は帰国子女であり、日本のトップクラスの大学の博士課程で電子工学を専攻していた。父親は商店街の電気屋の店長であった。母親は進めてきた研究の最終階段で大きな壁にぶちあたってしまった。その上、時を同じくして、交通事故にあってしまった。同じバスに乗っていた父親は気を失いかけている母親を車外に連れ出し、最初に到着した救急車に乗せた。それをきっかけに二人は結婚し、渡辺を生んだ。母親は「修ちゃんはとっても頭のいい子。

ママが果たせなかった夢を託せるのは修ちゃんだけよ」言いながら、断念してしまった研究を小学校の低学年でも理解できるように繰り返し説明していた一方で父親に内緒で論文を書き上げ、それをアメリカの学会に送った。しばらくと、母親がいた研究室の教授だという男が彼女に大学に戻るように説得しにきた。母親が「独身であれば、すぐにでも戻りたいが、今の私は子供を置き去りにして出て行くことはできない」と言って申し出を断った。渡辺は断る理由が自分であることにショックを受けた。自分が母親の足を引っ張っていると思っていた。自分が存在価値のない人間であるどころか、存在そのものを否定されたような気がした。母親は息子のそばにいなくてはいけないから夢を果たせなかったということの責任を子供に転嫁しており、毎日のように渡辺に手を上げているのである。それに対して父親が気づいていなかった。渡辺の十歳の時に、父親は母親の虐待に気づいた。両親の離婚が成立した。翌年、父親が再婚した。最初の時は一家団欒であったが、弟が生まれてから、渡辺と父親と義理の母親との関係が悪くなってしまった。渡辺は小さいごろから母親からたくさんの知識をもらった。また、自分も頑張っていたので自然に成績がほかの子供よりよい。という状態で自分が他の子供と比べればずっと良いという心理に形成しやすいのである。この時、母親が自分の夢のために家を出ていき、父親が弟のために渡辺に自分一人で生活させた。この不完全の家庭で彼はだんだん傲慢と自己愛の性格に形成した。この後、自分を見捨てた母親の注目を引き、自分の存在価値を証明するためにファスナーに電流が流れる財布を作った。母親への思いはもう正度の度を越え、異常までになった。したがって自分の母親が美月にからかわれた時、発作的に彼女を絞殺してしまった。渡辺の無意識な殺人は表面から見れば美月の自分の母親に対する不敬の一言で起こしたことであるが、実は家庭教育と深い関係があることであろう。もし、渡辺の母親が本当に自分のことを考えずにただ子供のことだけを考えたら、渡辺を虐待しなかっただろう。渡辺を虐待しなかったら、渡辺の性格はこの病的な状態になれなかっただろう。以上の分析から見れば、親の教育方法や教育態度や夫婦関係などが子供の成長に大きな影響を与えるのである。そして、いかに家庭教育を行うかは現在すぐ解決すべき問題であろう。

4.3 社会環境原因

森口悠子先生が渡辺修哉の問題行為を学校へ報告した時、誰もが軽く受け流し、校長からは「万が一の時に備えて、厳重に注意するように」とお決まりの言葉をかけられただけである。何の有効な措置も実施していなかった。もし、学校と両親は子供の問題行為に早めに気づき、正確に導いたら、子供がそんなひどいことをしなかったかもしれないと思う。問題尐年に早めに気づき、その問題行為を直すのは親の責任だけではなく、もう一つは学校の責任でもある。 北原美月はメディアの大袈裟な報道で心の闇にルナシーという人間味をまったく感じさせない猟奇的犯罪者の存在が植え付けられ、良輝先生で青酸ガリの効果を試してみようと思ったということである。未成年は好奇心が強く、何でも自分でやりたがる。そして外界の思想に影響されやすいのである。もしメディアは未成年のことも考えずにやたらに報道したら、未成年の真似の対象になりやすいのであろう。

以上から見れば、子供教育の責任は親と学校のものだけでなく、社会(主にメディア)のものでもある。即ち全社会の責任である。

5.0小説が現実に与えた警告と啓発

渡辺修哉と下村直樹とは性格が歪んだからこそ以後の一連の悲惨なことを引き出したと思う。よく言われるように、人の性格はその人の運命を決めるのである。人の性格は環境から作るとエンゲルスがそう言った。主に未成年の時の家庭環境から作る。したがって、良好な家庭教育環境は子供が健やかに成長することにたいへん重要であろう。両親双方の共同の努力も必要である。小説の中に渡辺修哉の両親は子供を生んだが一人に任せた。下村直樹の父親は忙しい仕事を理由とし、子供を教育する責任を逃れ、全部母親に任せた。それはだめである。また、渡辺修哉の母親は人生の低迷の時期に平凡な父親に出会った。それから、軽率に結婚を決めた。渡辺を生んだ。その後、子供のせいで自分が夢をあきらめなければならないと思い、子供を虐待し始めた。父親が気づいた後、二人の離婚は成立した。ここから見ると私たちは結婚に慎重しなければならない。一旦、結婚したら家庭と子供に責任を負わなければならないからである。子供を生んでから子供に希望をもつのは普通であろう。しかし、下村優子

のように自分の考えをやたらに子供に押し付けてはだめだあろう。そして、メディアの宣伝にも注意を払わなければならない。家庭ではなく、全社会は未成年の教育に対して注意と関心を払った方がいいと思う。

6.0おわりに

小説に表現される尐年犯罪の類型は無意識な殺人と意識的な殺人に分かれる。いずれにしても、彼たちは殺人という残酷な罪を犯したのである。また、尐年は特殊な時期に生きているからこそ、尐年犯罪は盲目的、衝動的、模倣的などの特徴がある。小説に表現される尐年犯罪の社会現状は保護者と教育組織との間違った教育観、問題尐年の成長してきた家庭環境、メディア宣伝の影響という方面から述べている。小説に表現される尐年犯罪の社会現状がまだあると思う。自分の能力が不足なのでこれだけを見出した。これからはさらに詳しく研究してみたいと思う。尐年犯罪の原因は個人心理原因、家庭環境原因、社会環境原因がある。小説が提示した主な原因は家庭環境の原因と思う。家庭教育環境は尐年の性格の形成に特に重要である。しかし、家庭ではなく、全社会は未成年の教育に対して注意と関心を払った方がいいと思う。

小説『告白』が尐年犯罪の解決方法を暗示したと思う。ただ、資料不足と能力不足のためにこの点についてはまだ研究していない。また、チャンスがあれば今後の課題にしようと思う。

注释:

1) 湊佳苗,『告白』、株式会社双葉文庫、20xx年、17ページ

2) 湊佳苗,『告白』、株式会社双葉文庫、20xx年、10ぺージ

参考文献

1.奥平康照,『現代の子ども事件が問いかけるもの』、『現代社会と教育 子どもと大人』、大月書店、19xx年

2.前田雅英,『尐年犯罪――統計からみたその実像』、東大出版会、20xx年

3.奥平,『現代の子ども事件が問いかけるもの』

4.奥平康照,『尐年事件』、『日本の学童ほいく』、一声社、19xx年6月号

5.河合隼雄,『あなたが子どもだったころ』、講談社+α文庫、19xx年

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