读书报告

読書のレポート その一

2011-04-21 07:12:31

読書のレポート その一

三月になると、桃の花が咲く

今年の四月六日のある記事から話そう。ネットで見た記事だ。タイトルは『三月三“吃桃辟邪”飞流言 专家称纯属迷信观念』で、三月三日には「魔よけのために桃を食べよう」という噂が広がって、学者が盲信だと断言する記事である。

面白いと思って読んだら、「桃を食べたら、西王母のおめしから逃げられる」という噂のおかげで、山東徳州の桃缶が一時的に売り切れたこともあったそうだ。学者は人々の盲信がゆえにそんな結果が出たと断言したが、「桃の木は邪気を祓える」という伝説が中国では古来から流れている。

この記事を読んだ後、私は急にある小説を思い出した。あれはあまり研究者に重視されないライトノベルだ。結成光流(ゆうき みつる)の『少年陰陽師』シリーズだ。何番目の本に「桃のホシは邪気を祓える」と書いてある。平安京に怨霊が出て、主人公の陰陽師が、偶然にもらった桃のホシを使って、結界を作って怨霊を囲ませて退治した話だ。

ライトノベルだけれど、当時私はその話に深く信じていた。この作者は小説を書くために、かなり勉強したと知っているから。資料の調べはともかく、小説に出る場所にも、何回か行って、幾つの神社へも取材に行ったそうだ。

のちに私が『古事記』を読んだ時(もちろん中国語での)、偶然か下記の話に気付いた。

ここに御佩の十拳の剣を抜きて、後手に振きつつ逃げ来ませるを、なほ追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に、その坂本なる桃の子三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に扳き返りき。ここに伊耶那岐の命、桃の子に告りたまはく、「汝、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦き瀬に落ちて、患惚まむ時に助けてよ」とのりたまひて、意富加牟豆美の命といふ名を賜ひき。(P29『黄泉の国』——『新訂古事記』武田祐吉訳注、角川文庫昭和52年(19xx年)版;周作人訳を参考)

何かはっと悟るような気がした。「そうか。恐らく結城が書いた「邪気を祓う桃のホシ」も、後に現れた「道反大神」についての伝説も、この『古事記』における『黄泉の国』から取材したに違いない」と思った。

その時、桃の伝説を日本の神話から発源したと、私はあまり考えせずに定論した。しかも、日本では、桃太郎の物語も有名であろう。

しかし、前話したあの記事を読んだ後、幾つか疑問と考えが私の脳に浮かべた。それをきっかけで、この桃がどうして邪気を祓う力が持てるという問題を中心として、資料を調べた。 人の考え方は面白いものだ。まるで回り道のように、中国と日本の桃についてのイメージを、何回も回って辿りついた。

異同点から気になるところまでを順番で説明にしよう。

共通点は一見で分かるーー桃は邪気を祓う力を持つ。これは中国の典籍にも、日本語の辞典にも疑わなくて記録されている。

中国の典籍では、

园有桃,其实之肴。『詩経?魏风』(庭には桃があり、その実はおいしい。)

桃之夭夭,灼灼其华,之子于归,宜其室家。『詩経』

(ここではお嫁さんの美しさを桃の花の綺麗さで喩える。)

「桃味辛气恶,故能厌邪气」『本草纲目』——李时珍(桃の性質は辛で邪気を払える。) また「桃毛…治悪鬼邪気…桃枭…殺百鬼精物…花…殺悪鬼、令人好顔色…」と

『本草纲目』の307ページに書いた。

漢方には、病を邪気の入侵によって起こるとみなす。ここの邪気と悪鬼は病気を起こるものだと理解する。

「夸父与日逐走,入日。渴欲得饮,饮于河渭;河渭不足,北饮大泽。未至,道渴而死。弃其杖,化为邓林。」『山海经?海外西经』

(夸父は日を追って、近づければ近いほど、渇くなった。飲み物が欲しくて河の水を飲んで、足りないと思ってまた北へ大きな沢を飲みに行った。そこへ到る前に渇くて死んでしまった。その時彼は杖を捨てて、その杖が邓林に変えた。)

ここの「邓林」、即ち桃の林である。

桃の木が邪気を祓えるのも、この伝説に関係があるそうだ。

「桃者五木之精也,今之作桃符着门上,压邪气,此仙木也。」『典术』西汉无名氏

(桃は五木(五種の木、即ち梅、桃、柳、桑と杉)の精で、桃符を作って門に付いて、邪気を退治し得る。仙木である)

「桃者五行之精,压伏邪气,制百鬼。」『荆楚岁时记』南朝梁宗懔

(桃は五行の精で、邪気を伏せ、百鬼退治し得る。)

桃弧、棘矢,以除其灾也。『左传』 (桃弧棘矢、災いを取り除く。)

また、『封神演義』には、雲中子が桃で作った桃木剣で、九尾狐の妲己の真の姿をあらわそう、という話もある。『西遊記』にも桃についていろいろ詳しい描写していた。

そして、老人星の造型はいつも大きな桃を手に持っている。西王母の桃の庭に取った仙桃と伝われ、長寿のシンボルである。(桃の薬用価値が高いのが原因かどうか、桃が病気を治し、人の命を延ばすことができるので、長寿のシンポルになるかもしれない。)

これらの話によれば、桃が中国で3000年も歴史がある。中国では、古来から桃は魔よけの果物で、木の幹は鬼退治に用いられ、花は観賞と薬にし、実は寿命を延べる、仁は薬に入れる。つまり、桃の形象は全ての悪から隔絶して、美しい世界へ導くイメージと言える。こう見れば

陶淵明の『桃花源記』は何故梅の花や、梨の花ではなく、桃の花で名づけるのが説明できる。また金庸の小説に出た「桃花島」の名付けも絶妙な創意であると感じた。

日本語の辞典では:

「会意兼形声。兆は、ぱんと左右二つに離れるさま。桃は「木+(音符)兆」で、その実が、二つに割れるももの木。挑(二つに離す)、逃(離れ去る)と同系。発音が【とう】或いは【もも】。食べ物事典では:バラ科、中国原産。古くから日本に栽培、生命力が強いことから邪気を邪気を祓う力があるとされ、中国では昔から「長寿の果物」とされてきました。種子は漢方では「桃仁」と呼ばれ、漢方薬「桂枝茯苓丸」の主成分。開花直前のつぼみは「白桃花」と言い…寝汗の改善、栄養補給、あせも、湿疹の改善などの効能がある。」と書いてある。

檀明山が編纂した『象征学全書』によれば、「中国と日本のあらゆるシンポルでは、桃の木が最も歓迎されるものである。15世紀に桃が日本へ伝えた。桃の木、花、実は不朽、長寿、春、青春または婚姻などに関わっている。それに、邪気を祓い、身を守る作用もある。中国の神話に、天の宮殿における西王母蟠桃园の桃の木は、3000年一回実る。人々は桃の木でお守りや、守り神の御像を作る。…日本では同じく邪気を祓う効用があると伝えて、伊耶那岐の命が三つの桃を投げ出して、追い詰めた雷神を打ち払ったと記録された。また、桃の花は節操のシンポルでもある。桃の実は仏教での三つの聖果の一つである。…桃の花を観賞するために植えることは、初めは中国で実行した。」と書いた。

ここで気になる所は三つある。

まず中国と日本における桃のイメージにある差異に気付いた。

中国では、邪気をはらうのは、桃の木である。日本では、桃の実になってしまう。

中国では、この伝説、或いは民俗文化は3000年の歴史を持っているといえる。けれども、今でも変わりのなく木は木のイメージ、実は実のシンポルである。

日本では、初めから実が邪気をはらう勤めのようだ。

実用主義でもあるかどうか、食べ物の文化が故とも考えている。

それに面白いのは、中国では桃の木に神様の名やイメージをかく。日本では、桃自身が神を救うから、名が賜れた。

また、気になるところは、「中国原産」という言葉。桃が15世紀に日本へ伝えたら、日本の『古事記』に現れるのはどう思っても不可能なことだ。檀明山が編纂した『象征学全書』は何か間違いがあるとしか思えない。これについて資料を調べてみたら、中国から輸入された桃の木は既に1500年ー20xx年を渡った、という見解が信じられる。

でも中国原産の桃が、のち日本の『古事記』に神様を救うなんて、何か怪しい気がするそれは日本の原住民が自分で発展した伝説であろうか、それども中国から伝われた伝説の発展であろうか。

『古事記』における現代語の説明では、『礼記檀弓注に、桃鬼所悪とあり、中国には桃が邪鬼を避けるという例が多く、あるいはその影響か』と書いたが、やはり討論することに値する。

三つ目は、数字に関係ある疑問だ。

文献を読むとき、奇妙なところに気付いた。中国の神話では、西王母蟠桃は3000年一回の開花、3000年一回実ると話している。そして『古事記』では、伊耶那岐がちょうど三つの桃を投げ出す。どっちでも数字の「三」に関わる。数字の「三」は多いの意味が含まれる。しかし、『古事記』に「多い」という意味で「三」を説明するのは説得できないと思う。あの「三種の神器」も同じ用法だと思う。それで、天地初始に三人の神(天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神)は中国の道教思想の影響を受けるとよく言われたが、桃の三つの意味とは全然違っている。また、世界中で多くの神話には、三人の兄弟や、三つの木(或いは三種の植物)や、三つの問題などで、物語を構成する場合が沢山ある。時間の限りがあるから、深く調べることはまだしなかった。

後記:

私は宗教や、民俗などに興味があるから、神話や民話についての本、また論文を見ると、必ず読んでいただいた。厳紹璗さんの文章『神話ー中国と日本の文化の融合について(近藤泉訳)』に話したとおり、「神話は、初期の人類が自然及び社会を探索して、そこから得た知識と成果の芸術表現であり、その魅力は永久的なものである」。他人の方から見れば、私は根も葉もないことばかりに関心すると感じられるかもしれないが、私自身は、神話こそ人類の本源を示す源だと思う。神話と民話は、最も素朴な言葉と材料からなった素朴な物語で、人々の原始的な生活の様子を示すものである。いわば「最も早く人類の形象的思惟を表現した方法である」。まさに「文学の発祥地」だ。

追加:

前授業で胡先生が言った。「日本人はよく「八」という数字で「多い」の意味を表す。例えば八百屋、八百万神、八雲、八重生りなど…」

先生の話を聞いた後、私は急に「河図洛書」というものを思い出した。一、二、三の象徴は、中国でも日本でも大体同じである。しかし中国では、よく数字「九」で「多い」の意味を表示する。これは日本のと大変違っている。「河図洛書」を思い出したのは、方位と数字が何かを決定したのかもしれないと、はじめはそう考えた。けれども劉牧の『河図洛書探秘』を読んだ後、考えは考えのままで、証明できぬ空想のようなものだ。が、勉強になった。昔の人は、「数字崇拝」という崇拝モデルがあると初めて知る。トーテム崇拝や自然崇拝と違って、数字崇拝は抽象的なもので、数字の発明と発展と共に崇拝されてきた。今もよく発音や習俗が原因で缘起のよさと悪さに関わっている。それは世界中で共通する現像だ。

「一」の形象は既に東と西の文化を表した。中国の漢字では、イチを「一」で書く。アラビア数字では、「1」で書く。横か縦か、文明の差異が見える。「一」で書くのは、視野に入る地平線のようなもので、平原文化のはじめであり、天地分界に対して最も原始的な認識である。 そしてこの「一」は、中国の哲学を生む。「一生二、二生三、三生万物」という話がある。「一」の原始的な状態から、陰陽が離れられる。天と地がそれぞれ八卦の乾と坤であるのが「一生二」の説明でもなれる。「二生三」は陰陽が結合して新しい物質を産むこと。これは多分人間が生命の産むについて一番早い認識であろう。つまり、一は万物の源、二は生命の母、三は万物の母である。

「一」と「二」があると、奇数と双数の概念も形成された。『易経』などの典籍を読むたび、私は石田良一が『日本文化史』に書いた「神秘的合理主義的な思想」と度々思い出した。 「五」が完璧な数字だとみなす。数学では、五は二プラス三で、文化では、二と三を含んで、生命と万物の生成形態だから、完璧な数字となる。

人々が五についての認識は自分の手から始まったそうだ。それで金、木、水、火、土の五行が「五」の神聖感を強化した。五行で万物が生まれる。だから昔の人は五を完備で調和のシンポルと見られていた。例えば東西南北中の五方、青黄赤白黒の五色、宮商角徵羽の五律、酸苦甘辛塩の五味、心肝脾肺腎の五臓、鼻目口舌耳の五官、桃李杏栗棗の五果、また仁義礼智信の五常など。

「九」といえば、「三」の平方数だ。文化上では三の延伸を示す。英語の比較級と最高級のように、三の「多い」を元に、「もっと多い」、「最も多い」という意味を表示する。

そこで、私は「八」の意味を「九」のように考えた。「八」は二の立方であり、しいて解析すれば、二から四、四にさらに二をかけると、八となる。この視点から見れば「八」も明らかに「多い」と意味される。でも何故「九」ではなく「八」を選ぶのはやはり説明できず、段石羽の著書『漢字中の中国古代哲学思想』の571ページから574ページまでには八部シンポルと九部シンポルについて書いたが、時間の限りでまだ読んでいなかった。

関係リスト

『河図洛書探秘』王永寛著、河南人民出版社、2006

『国家神道』村上重良著;聂長振訳、商務印書館、1990

『比較文学視野中の日本文化ーー厳紹璗海外講演録』厳紹璗著、北京大学出版社、2004 『「山海経」中的鬼神世界』伊藤清司著;劉曄原訳、中国民間文芸出版社、1990

『象征学全書』檀明山編纂、台海出版社、2001

『漢字中的中国古代哲学思想』段石羽著、新疆人民出版社、2006

『中国人的信仰与崇拝』傅才武著、湖北教育出版社、1999

『古事記』周作人訳、中国対外翻訳出版公司、2000

『日本文化交流史叢書(6)ーー文学』中西進、厳紹璗編、大修館書店、1995

『日本文化史』石田一良著、東海大学出版会、1989

『新訂古事記』武田祐吉訳注、角川文庫昭和52年(19xx年)版

『本草纲目?全图附方』出版社不明、PDF版、1995

 

第二篇:读书笔记格式范例(三色笔记)

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